硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

蒼から朱

いい加減食材が余ってきたから無理やりメインを作った。豚肉と茄子とピーマンと人参の味噌炒め。茄子トロトロで美味しかった。そしてやや食べすぎ。明後日には更に食材が届くから、常備菜たくさん作らないと。

 

さておき。

 

やたらと疲れる。睡眠が足りないって訳でもなし、同期に気を遣いすぎ問題かなとか。自習みたいなのが多いけど、ペースは合わさないといけないし、休憩のペースとかも調整しないとだし、きっといっしょくたに見られるだろうとかも考えるし。研修でやった発話練習を朝一でやることになったのだけど、他の人たちが応対している場所でするのかどうかになったとき、僕がここでやると邪魔じゃないかって言ったら、他の人たちも話しているから「お互い様」だって。いや、仕事と練習を同じものとして語るのかい、って。結局少し離れた島でやったから良かった。

 

でも、そういえば、前の所でも毎日無駄に神経が擦り減っていたなぁと思ったのと、「このお互い様」発言と、HSPっていう感じやすい人情報を思い出して、他の要因に思い至った。だから、上に書いたことはほぼ関係ない。

 

多分だけど、聴覚情報の焦点を絞る機能に欠陥があって、同時に色んな音が入ってくるから、処理能力が過剰に使われるということかなと。聞こうとしてなくても聞こえてくる。「お互い様」発言も相手も自分も気にならないっていう意味だったとすれば、別に変な発言でもない。音とか声とか溢れているし。これは別に聴覚に限った話ではなくて、他の五感にも言える。人混みが苦手なのもきっと情報過多になるから。

 

もっと考えていくと、あまり人と接さないことも人と接するときは鈍いときの方が関わりやすいのも情報過多になるからで、文字情報を好むのは使う感覚が絞られているからかもしれない。ここまで来るとどうなのだって感じだけど、そういえば、本を読んでいるときに違う五感が反応するときあるなぁとか。

 

別に悪いことばかりでもないけども。見ようと意識しなくても色んな発見があるし。さすがに月を見るためには意識して見上げないといけないけれど。近所のスーパーとかコンビニの店員さんが私服で歩いていても分かる(分かったところでどうなのだろう)し、この季節だとアザミとかイタドリとか。

 

こういうのも自分は自分でしかないっていう範疇の話か。

 

最後。

 

ヘーゲルさんを読んでいると、「実存とは精神である」というフレーズが出てきて、なんとなく励まされた。真意は分からないけど、なんだかなんとでもなりそう。「はてのない物語」では「過去がなければ未来はない」が出てきて、これも良い言葉。あと、書きながら思ったのが、変えられない嫌な部分があったとしても、知ることはできるだろうなと。過去の自分と今の自分の何が変わっているかは分からないけど、少なくとも自分のことはより知っているとは言えるし、未来になったらその範囲はきっと増えている。

 

これくらいで今はじゅうぶん。

 

 

おやすみなさい。