硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

威を借りれなくなったとき

世界の終わりとハードボイルドワンダーランドも読み終わった。これもノルウェイの森の対比で考えると面白い点がある。生死の概念が生生しかったノルウェイの森からすると、抽象的になった。あと、ノルウェイの森では、死の側の直子が自分のことを覚えていてねって言うのだけど主人公は生きている限りどんどん忘れていく。ハードボイルドワンダーランドだと、厳密には死ではないけど限りなくそれに近いところに向かう主人公に対して、ピンクの女の子が私の中であなたは永遠に残るみたいなことを言う。ハードボイルドワンダーランドで良いのは、自分が終わるときに祝福を与えていくところ。理想論だろうけどこういうのが好き。

 

別にどちらも救いはないけれど、どちらが良いのだろう。村上さんの作品はだいたい得体の知れない悪意みたいなものが出てくるような気がする。海辺のカフカは高速バスで移動するのに合う。羊をめぐる冒険もねっとり気持ち悪い。

 

ともあれ、僕は自分が消滅したときは関わった人皆自分のことを忘れてくれた方が良いと思っている質だから、この辺りの感覚は良く分からない。具体的な記憶じゃなくても望まなくても人は人に勝手に残るものだから、意識的にどうかなんてことは関係ない。これが人を人として扱うことの原型だと思うのだけど、こんなこと等しくやっていたらいくら時間があっても足りないわなとも分かる。

 

先にこっちか。

 

突き詰めない方が良いっていうのは、素朴に世の中の理不尽について考えていくと、結局は自分が居ない方がマシだろうっていうことに至るから。誰かを傷つけたり奪ったりすることは人間である以上不可避で、だとすれば、自分が生きていることに意味はなかろうって。自尊心とか自己肯定感の話ではない。どんな器だって物理的にも精神的にも同時に同じ場に存在することがない以上、可能性として誰かの場所を盗りながら生きているという加害性は内包していている訳で。

 

これの解決策って、誰かに肯定されることではなくて、深くは考えないようにして、自分より価値がなさそうな人と比べて自分のがマシだって思い込むくらいしかないような。奪うを突き詰めれば、生きているだけで酸素も奪うしカロリー奪っているけど、そこまで考えている人はいないような気がする。

 

 

そして、あとの話。

 

 

某政党が掲げている、性行為を原則違法化するというマニュフェストについて、やや細かく。

界隈覗いていると、法律家が反対しているのは良かった。賛成している人も法律家には食いついていないみたいだから、結局はそういうこと。

 

原則違法っていうのは、結論としては正しいけど過程としては説明不足。

 

同意がない性行為を刑法上の犯罪にするっていうのが根っこ。

これだけ見ると当たり前だろうっていう人が結構盛り上がっている。まさにその通り。問題視している人のだいたいは、そのあたり前を前提として、そうじゃないところを見ている。

 

賛成している人は、個別ケースでこれが拾われることが正しい、みたいな安直な見解だろう。

この判決がおかしいって裁判上に上がった事実だけで判断する。裁判で俎上に上がる事実って証明できた事実でしかないし、報道で切り取られたらもっと狭まる。

 

反対する人は普段いったいどんな性行為をしているんだっていう見当違いな見解があるけど、法律は具体的なケースなんて配慮する機能はない。どんだけ信用しているのだか。自分が外にいると思っている人は多い。

 

社会は信用してないのに、法律なら頭を垂れるっていうのはなかなか面白いけど、

 

被害者の同意って、刑法上も当然考慮されている。窃盗罪でも被害者が同意すれば犯罪ではなくなる。けど、これって現実的に見れば、逮捕されるし勾留もされているし、無罪だから良いって言えるのは、他人事の人。

 

んで、暴行脅迫要件を取っ払った時、何が起こるか。

親告罪に戻すなら違うけど。

 

ラブホテルの入り口に警察官が常駐するみたいなこと。

それはそれでありうるとは思うけど、だったらもっと税金上がるだろうなぁ。それもきっと嫌なのだろう。

 

性行為に証拠としての同意を求める感覚は分かるけど、これを国家に後ろ盾させて貰おうっていう感覚が浅はかすぎる。国家は当人を都合良くケアしてくれるような臨機応変なシステムではない。なんでそこまで法律に依存できるのかはよく分からないけど、たぶん、力が欲しいのだろうな。自分の見解を補強してくれるナニカ。

 

そういえば、政治学入門も読んでいるのだけど、政治とは不合理を統合するものだという話。民衆は暗示でたやすく動くとか、論理的でありすぎることは悪手だとか。まぁそりゃあそうだ、快不快がほぼほぼを締めているだろうし。波及効果なんてどうでも良いんだろうなという感じ。人は結局、自分の都合の良いことしか求めてない。だから、人は不合理で生きている。

 

僕は経験則を判断基準にしないようにはしているけど、経験自体は個体として否めない。でも、自分が経験してきたことを真実ともしていない。思い返すと歴史じゃなくていちいち生々しい。

 

じゃあどれが本当の自分なのかっていうと、それすら定かではない。素朴な感覚としては、もうこの世界から退場した方が良いだろうなっていうのと、もっと色々研究したいっていうのはあるけれど、これって別に相反しないし。

 

まぁ。寂しいっていう感覚はあるけど、寂しさって素朴な感覚だと思う。

 

 

おやすみ。