硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

言葉と感情の関係

 

 

 

 

水滸伝で暗殺に対する考え方が2通り出てきた。人の生死は運で、暗殺は運の下向きを後押しするもの。もしくは古い友人が訪ねてくるもの。なんだかノルウェイの森と通じるものがある。

 

生死の観念がどこにあるのかというのも、哲学的ないし宗教的な観念として凄く大事なことだと思う。どう死ぬかということが自己決定の範疇だと認める国も出てきているし。尊厳死。ただ、これも難しいところで、認める基準をどこに設定するかとか、本人の認知がどうなのかとか諸々。自殺を法律で認めるということは、刑法も変化するのではとは思うのだけど、どうなのだろう。他の社会は知らないけど、現代日本社会では、自殺に関与することは、嘱託殺人だったり、自殺幇助だったりで、殺人罪よりは軽いけど刑罰が科されることになっている。

 

たぶん、然るべき医療機関によるべきという落としどころなのだろうけど、死を人が選択して良いものなのかっていうのはきっと倫理の問題。

 

というより、感情論なのかな。近しい人が死に向かうとき、当人の感情としては自分が相手の生存を保てなかったっていう負い目を罪悪感とすると思うけど、この罪悪感が誰のものかっていうのは分かり切っている。これを一般化して、死にたがっている人に対してあなたが死んだら悲しむ人がいるよって説教してしまえることって、かなりやばい。

 

僕もこの意味での負い目は1人だけに負っているのだけど、当時の自分ができるのにしなかったことではない。未来から遡れたらなんとかできたかもというだけ。こう思い返せるということは、僕が父親を好きだったのだろうなと結論に至る。

 

ともあれ。

 

ここの文脈での本題は、人の死の可能性は生きている限り拭えないものであって、例えば僕が近いうちに死んだとして、関係している人に何が残るのかという思考実験をしていた。

 

現実と繋げてここを知っている人はほとんどいないけど、ここを読み返して僕を見つけようとする人は居るかもしれない。でも、僕はここには居ません。まぁ居ないことを前提として思い出に浸るために読み返すなら在りかなとは思う。

 

精神的ストレスで体を壊したと評価してくれても良いし、友人なんかはやっぱそうなったかって思ってくれるかもしれないし。

 

人の「生」って生存確認できれば良いって捉えている人が多いのではなかろうかという疑義。母親なんかがそうなのだけど、どこかで生存しているより、自分が感知できる生存の方が大事みたい。でもこれって、対象の存在そのものを尊重している訳ではなくてあくまで母親が観測できていれば生存だという。これに囚われる必要はないのでは、って思う。

 

確かに、当たり前が途切れると不安になる感覚は分かる。でも、この当たり前って共同生活していればともかく、相手が自分に時間を意識的にかけているから生まれるものであって、当たり前をこの先にも提供しろよって要求するのは相手の意思を蔑ろにしている気がする。まぁ5年くらい前の自分なら当然の感覚だったから、これ自体が悪いとも言えないけど。

 

要は、命って大事だって言うけれど、ここで言われている命って観測する人が決めた命なのではっていう話。

 

ところで、言葉についての本でエーリッヒフロムさんが出てきてびっくりした。名著シリーズで愛についての本は読みたいと思っていたけど、まだ読めていない人。確か愛されるための技術みたいなことだったような。

 

フロムさん曰く、感情を表現する言葉が限られているとき、その言葉に割り振られた感情しか認識できないとか。英語圏の話で、愛はloveという言葉しかないけど、兄弟愛とか家族愛とか細分化した愛は捉えられないとのこと。

 

これって、確かに真理を突いていると思う。自分は自分を言葉で十分表現できているとか、言葉でさえ表現すれば他人に自分が伝わると認識している人は多い。言葉を遣うのではなくて、言葉で自分を規定しまうということ。言葉から外れてしまった自分は当人の中でさえ自分の範疇に含まれなくなる。

 

僕はこの齟齬がずっと気になって居たから研究している。だから、言葉の意味から外れたものとか、素朴な言葉の語用が一般的とは違うのにも気づいた。

 

例えば「好き」。

 

これって一般的には人に使うと特別だっていう意味が出てくる。確かに特別だけど、僕の中では物理的な意味では、ずれがあって、共通語彙としては使えない。僕は、生活に含められるっていう意味で使用している。生活は記憶とか人格も含めて良いけど、要は、その人の居場所が自分の頭の中に残るということ。だから、浮気された元恋人さんも好きで良い。許すとか許さないじゃなくて、当時の自分を肯定するに近い。

 

いまとか未来に引き直すと、現実的な関係とは離れるものだから、別の言葉を当てないといけないかなって思う。

 

 

この方向で考えていこう。

 

 

では、皆さん良い夢を。

 

おやすみなさい。