硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

収束脳

 

食欲がないのは、暑いからなのか満腹中枢が他のもので満たされているからなのか。昼のコンビニ弁当が消化されていないまま、納豆かけご飯とほうれん草の胡麻和えを食べた。

 

日常の精神は割と安定しているけど、それと並行して何年か前の精神性がある。世界が二重に見えて変な感じ。更新されていないのだろうなぁ。記憶って粘着質だ。

 

いったん日記。

 

今日は応対研修だった。声の作り方とか基本的なフレーズとかロープレとか。声については鍛えようと思っていたところだからちょうどいい(誰に届けるのだろう)。早く実際に取る段階に至りたいところ。

 

研修してくれた人の会社が某銅山か銀山か忘れたけど、がある島で、地方の過疎化という話をしていて、あなた方は大阪人ですかみたいな話になった。同期が高知、僕が愛媛出身という、更に過疎地域だったというオチ。なんとなく同郷の連帯感みたいなものが芽生えそうになったけど、たぶん実際の文化は全然違う。遠めに括ると同じように感じるのも分かるけど。まぁ直線距離にすると割と近かった。

 

帰ってきたら、ちょうど地元の大同窓会とやらのお知らせが来ていた。去年は豪雨の影響で延期になったもの。通っていた廃校になった小学校のグラウンドでやるのだとか。参加費千円ってなんの費用か分からないくらい安い。正直どっちでも良い気分。実家から徒歩圏内だったら行っても良いかなと思うけど、街灯もほとんどない山道を1時間くらいかけて歩くことになる。当時は徒歩通学していたけど、途方もなく長く感じたものだ。校舎の感じも、講堂が体育館に建て替わったのも、上級生に追い回されたのも割と鮮度があるものとして手に取れるくらいには残っている。けど、何か弾む話があるなんて想像できないし、送ってくれた人も手書きのメッセージがないくらいには事務的なお誘いだろうし、まだ帰る程には離れていないし。あ、これは参加しない方向だ。

 

 

そうして。

 

劇評の進みがあまりよろしくない。あらすじをどこまで書くのかとか、作法なのか入口なのかのところで躓いている。観た人に向けたものなのか、観ていない人への紹介なのか。記録という話だから、どちらも混在したものなのか。中間くらいのつもりで進めよう。文体はやたらと固くなりそう。

 

ちらっと書き方について調べていると、演劇は1回性のもので、その1回に感じたものを文章化するのが劇評だ、みたいな話が合った。自分に引き直すと、最初に観たときは遥か彼方な気がする。感じたものっていうのは演劇そのものの場に対するもので、中身に対しては記憶に焼き付けることを重視していたし、反芻すればするほど印象が変わる。今は、地方っていう部分ともう1つの要素を自分の過去と重ねすぎている。どういうものさしで切り取るかっていうのも新しいのが出てくる。電話応対の手法と地方をかけてみると、人間関係の薄さもモチーフなのかなとか。内容よりも良い方とか発する顔の型で伝わるかどうか決まるっていうところ、定型的な関わり以上のものがないっていうものと。

 

 

まぁ、少し書いてみて思ったけど、なんだかんだ書き始めると収束しそうだなっていう手応えはあった。入るまでに時間がかかりそうだけど。今日はまだ少し事務処理が残っていたけど、明日からは筋トレ時間をそこに充てられる。ストレッチかなと思ったけど、思考を健全に整理するというより、固着化とか再構成に近い。日記もマルチタスクじゃない方が良いのかもしれない。休み休みだと読み返しながらになってしまうし。

 

最後。

 

生きているなりに色んな体感をしていて、自分の変化も欲しているのだけど、本当はどこにも行けていないのかもしれないという感覚もある。その部分が過去と今の自分を行き来するためのタイムマシンみたいなもので、ここに不具合を感じてしまえば一生通して生きづらいままなのかもかなと。

 

おやすみなさい。