硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

理想郷

やっと動けるようになった。何が原因かは分からない、こともないけど。なんというか、どうやったら世界は平和になるのだろう、みたいな漠然とした思想。おこがましいけど、考えるのは自由だから。ともあれ、これは別に内心の自由みたいなこともない。自由って、「何から」っていうのが前提になる。だって、全く不自由じゃない状態なんて完全な三角形みたいにイデアの中にしかない。自由の観念がいつ生まれたかは知らないけど、本来は国家から解放されるというところにあったはず。だから、個人同士の問題で自由って言いだすと、何か相手からの抑圧であるのが前提のようになる。

 

単純な嫌悪感が内心の自由に含まれるみたいな話を見たのだけど、憲法上の思想良心の自由にそういったものが含まれないのは定説だから、道徳上の内心の自由であって、対象は社会だと思われる。子供を教育するときに被差別対象を含めあらゆる嫌悪感は悪いことだって教えるのはアウトで、嫌悪感は悪いことではない、でも、現実化の仕方はわきまえないといけないっていう命題に子供は放っておいたら差別的になるとか、道徳的な良し悪しは大人が分かるから嫌悪感自体を矯正しないといけないとかっていう反発が起こる。でも、これって子供が価値観を育む時の一番の要因はその子供の周りにいる大人という点を見落としているような。そうして自分の善悪の判断も自分の物ではない承継されたものがあるということ。自分の判断が正しくて相手にも強制できると思えるような人はきっと承継してきた自分の価値観を疑うところが自分の人生上なかったのだろうし。

 

あと、自由を求めていると標榜している人達の一部が匿名で解放された仮想空間である種の監視社会と、個人の好意を分断する田舎社会みたいなことを構築していること。現実にどれだけ影響あるのかっていうのは分からないけど、なかなか危うい。女性にAEDを使用すると命を救ったとしても、セクハラで社会的に殺されることを危惧して緊急時にも躊躇ってしまうみたいな風潮がこの界隈にあった。そんなことないだろうけど、良いことをすることにリスクがあるっていう雰囲気だけで人の善意はきっと死ぬ。僕は性善説寄りの考え方だけど、女性全体が男性に嫌悪感があるって風潮を見てしまった人は、女性への不信感が募る。そして、女性の救命割合が減る。という感じだけど匿名性を使っているのは男女平等で、あの界隈に居ると人間不信が募るだけという。

 

僕は今のところ守るべき社会的地位がないから、AEDの件に関してそんな事態が起きたらなんでもやると思うけど、これが結婚していたらとか、子供が居たらとか守るべき世界があるんだったら、どっちを優先するのか比較しなきゃならないと思う。

 

何か大きいもので語ることが好きな世界だけど、これって、田舎の閉塞感と似ている。皆やっているっていうフレーズは母親の常套句だったし。幸いにも僕は姉とか妹ほどは家のことをやれとは言われなかったけど、そのやり方は見ていて気持ちいいものではなかった。この気持ち悪さを見て、自分が気持ちよくなるために下に同じことをするっていうのが通常ルートだった。変わりつつはあると思うけど、誰かを下げることで留飲を下げる観念っていうのは、そろそろ脱却して良いような。

 

ともあれ、もっとハッピーなことを考えたいのだけど、何かへの抑圧とか差別とかを考えていくと、何をしていても不謹慎みたいな感覚になる。それじゃないとしたら、人は世界を狭めないとハッピーになれないのかもしれない。結局は、社会とか国とかではなくて、直に接する人という説。

 

 

僕としては、個人的関係においてはかなりハッピーだと思うのだけど、これはなぜだろう。

 

 

おしまい。