硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

幸福論

野菜不足がたたってきたような気がしたから、昼はオムライスにしようと取り掛かった。鶏肉がないから油揚げにして、長ネギ、人参、舞茸、カットトマト缶残っていたからそれを加えて、ケチャップ、ウスター、コンソメの代わりに鶏ガラ顆粒。そこまでで力尽きて、卵は使わなかったけど、トマト缶のおかげでチキンライス感もケチャップライス感もなく、さわやかな味だった。十分な補給。夜も豆腐サラダと鯖缶とトマト缶ともやしの炒め煮。野菜が大事。というより、素材と近い料理というのが栄養源になるという説。あとはショートカットをしないものを食べているのかもしれない。

 

最近の菜食主義者ベジタリアンとは呼ばないらしい。多分。主義が違うから違う名前なのだろうけども。動物には痛覚があるから可哀そうみたいな主張から野菜を食べるのだっていうのを見たけど、植物に痛覚がないことは分からないだけで、違う階層で痛みはあると思う。何かで見たけど、植物は全部自分が使って良いのに、地球に奉仕しているとか。まぁ、植物の観念はきっと人間には不可視だというのは違いない。

 

今の社会に認められている行動を狭めるものは、ほぼ宗教と言って良い。不自由があることが何か生きるための後ろ盾になるっていうのはきっとある。自分が正しいことをしているっていう感覚。

 

昨日の日記からすると、こうやって狭めることが正しさを主張する原理になる。自分の嫌悪感に賛同が加わると正義になるとその外は要らなくなる。ただ、この思想の果ては、もっとしたたかな人に利用される十字軍とか聖戦とか、日本で言ったらなんだろう。差別表現だって言って消されている言葉達とか、強制性交等罪へのデモとかか。ちょっとズレているようであまりズレていない。

 

たまたま無罪判決が連続しているけど、性犯罪に甘い国みたいなのはきっと判決文を読んでいない。デモ参加している人が判決文を読んだのかは怪しいところ。最新では、本当に性交があったのかっていう事実認定が問題になっていて、兄弟がいっぱい住んでいる壁も薄いところで拒否している声が他の兄弟に届かなかったのかで、不自然だから認定できないっていう趣旨だった。例えば、実際に娘が父親の子供を何人か産まされてどうしようもなく親を殺してしまった事件は憲法やったら必ず出てくるのだけど、親の命は他人の命より重いっていう刑罰が刑法にあった時代にそれじゃあ減刑しても執行猶予が付けられないから憲法違反だという判断。

 

被害者視点から見てしまうと、容疑があること自体が罪っていうのは分からなくはないけど、裁判官に人権教育をという見解は的外れ。人権教育をしていたら刑罰が最大の人権侵害っていう価値観が醸成される訳で、むしろ裁判官の方が分かっている。警察検察も公務員だけど、守るところが違う。国家が一番怖いのだよ。

 

 

さておき。

 

今日はエネルギー補給日だったらしく、たまたま見つけたイチローさんの引退会見を文字で起こした記事を見ていた。いくつか見た限り、二次情報ってそれを再現した人の主観が混じっているけど、なかなかスッキリした。ハッピ-になるためのもう1つの可能性。将棋の羽生さんも近い境地な気がする。あと、樹木希林さんとか。

 

ともあれ、自分の可能性はどんどん狭まっている。違うな、絞られている。

要は、だいたいのことをうっちゃって好きなことだけするというベクトル。この好きなことっていうが、楽なことじゃなくて、楽しくて自発的にしんどいことをするというもの。強制されると不満が出るのは当たり前で、どこかにはけ口を求めることになる。それが匿名で言いやすくなったっていうのはあるだろうけど、だいたい生きられる世の中で不満を飲み込みながら修行するようなメンタルで生きられる人はなかなか居ない。

 

結局のところ、まだまだ修行が足りないなと自覚したという話。

 

 

おしまい。