硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

峻別

終わりは始まりよりも楽しいかもしれない。何かが終わるっていうことは、そこに新しいものが入ってくることで、もとのものより良いかどうかはともかく、流れる。

 

ということで、就業最終日。

お菓子をいつ渡すかタイミングを図りながら、のどかに過ごした。最終日が1番社交的だったとも言えるし、仕事のペースが1番分かっていたとも言える。

 

結局代表的な人に渡して良かったら皆さんでっていう風に渡した。今日で最終日なのでって言ったら、え、そうだっけみたいな反応をされたけど、そんなものだろうなと思っていたから別に良い。それを聞いた隣の1番仕事ができる人が、気を使わせてしまいましたねってぼそっと言っていた。ただ、この見解は間違っている。気を遣ったのは仕事を遮って渡すことであって、お菓子を用意したのは、ホワイトデーのお返しできないし、お世話になったしっていう、単に自分がしたかったから。

 

それで喜んでもらうかどうかは別次元のこと。需要と供給の次元で世界を捉えていない。まぁ、口に合うか分からなかったけど、だいたいの人が食べてくれていた。女性好み、かつオフィスワークの邪魔にならないものっていう、需要を捉える阪急百貨店の地下に出店している店は素晴らしい。

 

そうして、派遣の最終日なんて何回やっているか分からないけど、上司とかも席を立って送ってくれた。そういう社風なのかと思うけど、自分が出ていった後に何を言われているかは定かではない。礼儀は凄いけど、礼を尽くしたその裏で何を考えているか分からないのが社会人というものなのかしら。

 

なぜ紹介予定派遣期間で終わったのか分からないし、もう少し気楽に働いていたら結果は変わっていたのかもしれないけど、変わらなくて良かった。想像するに、やっぱり経験者じゃないと無理だろうっていうことなのだと思う。誰一人として教育のことを考えていないのであれば、派遣で経験者を回転させて雑用させたら自分が守られるし当人の仕事に集中できる。

 

ともあれ。

 

お世話になったっていう観念。

優遇してくれたとか、便宜をはかってくれたってことなのだろうか、っていう疑問。仲良くしてくれたも含むのかね。

 

僕の観念ではちょっと違う。

持ち帰ることができることができたらそれはごちそうさまになる。仕事関係で私的に仲良くなるって、なんというか、職場恋愛に近いような。

 

半年とはいえ、スキル的に持ち帰られたことは無数にある。ワードもExcelもそうだし、自由に使えるパソコンが目の前にある職場というのも初体験だったし、電話応対の練度が1番良かった。私的な就職活動の電話で抵抗なく自己主張できるようになっているし。

 

これを交渉っていうなら、別に大したスキルでもない気がする。

やらなかっただけで、やろうと思えばできるような。

 

要は、人って他人の話を特に鮮明に聞いていないってこと。

 

そりゃあそう。人のワークングメモリって限界があるから、会話している最中に交換できるかなっていう部分だけピックアップして対応するし、全部聞かれているって思うのは相手に対しての過大評価だし、自分に対しては誇大評価。

 

 

何の話をしているのだろう、だけど、要は自分が他人をどれくらい捉えられているだろうっていう話。

 

これって、他人のことはどうでも良いって考えると至極簡単な話。自分が良いようにしたら良いし、列に割り込むとか、他人を傷つける言動しても自分は傷まないし。

 

 

でも、本当に心がある何かっていうのは、何の後ろ盾もないところにあるような。

そんなものは絶滅危惧種的な疎通だけど、在るところには在る。

 

 

真面目な話というか、社会の話に戻って。

 

 

電話応対なんて完全に消える仕事だけど、これを求める人って電話越しに話しているのが人間であるっていうことにしたい。同じ存在を屈服させたいとか譲歩させたいとか対応させたいとかだろうか。自動音声対応業界がボーカロイド導入しないのはなんでなんだろう。こういうのを求めている人は、相手がAIでも気付かないと思う。

 

そうして、ルーティーンでしかない仕事って、人が入るとロスでしかないだろうなって思う

接客も営業も人は要らなくなるし、この人だからで生き残れるのは、ほとんどない。

 

結婚制度は、私的立場で相互にこの人だからって思わせてくれる外から決められたこと。

 

 

 

最後。

 

 

こうして自分本位になってくると、私的関係についてもちょっと考えないとなって思う。

どう考えているかはブラックボックスにしておくけど。

 

どういう文脈においても正しいのは、僕と生活するものではないっていうこと。

要らないなら要らないで構わぬ。

 

 

僕はどうだろうっていうと、接して貰ってることがありがたいから、離れていってもなんとも思わないともう。執着は悲しいし。

 

 

 

おしまい。