なんでもない
焼きうどんと冷奴と、白菜と大根の塩昆布和え。
さておき。
バイオリズムとしては落ち気味だけど、この波も使いよう。対社会には頗る億劫だけど、インプット力というか内省に向かうエネルギーは凄い。そうして消費されている感じもない。成果としては、500頁くらいの経営学の本の一周目が終わった。なかなか面白い考え方だった。
経営学はなかなか人間臭い。経済学を人間に寄せて具体的にした感じ。どっちかっていうと心理学寄り。資源としての人をどう社会的に扱うかっていうところに主眼があるみたい。
明日は英単語を2倍速で聞きながら読んで一周してみようかな
ともあれ。
言葉の話と部門の話があるのだけど、どっちからいこう。
僕の中では社交部門と内省部門は別系統になっている。だから、内省部門のことを社交部門に言われても、あまり分からない。そういう思想があることと、そういう人物として社会的な現実化になるかって言ったら全然違う。
まぁ普通のブログって、統合された人格の一部で書いているのだろうし、そういう枠で見られるのもわからんでもないけど、僕が面白いと思う文章は完全に分かれていないまでも、素朴な人格とは分離しているような。
そうして、言葉部門はもっと複雑。
言葉って何か。
ここが1番デリケートでもあるのかな。
まぁ、言葉って基本的には、誰かに対する要求か客観評価のためで良い。自分はこうしているとかこうであるっていう言葉で表するのは凄くお手軽。
言葉部門なのか総意なのかはともかく、僕は全然言葉を評価しない。
だって、言葉って対人関係でどれくらいのエネルギーを使うものかしら。評価しないって言ったら語弊がありそうだけど。
言語部門は語弊をどうでも良いって思っているから、省略するし、別にどう読まれるかは関係なくて、そう読まれたなら当人にはそうだろうっていうだけ。
部門で分けているのは、別に便宜ではなくて、本当にそんな感じで分けられている。素朴に考えても皆そんなものだと思うけど。細かい話は省略。そんなものではないって思っているのが普通で、なぜそれを世界とするのか。枠付け理論。
やれやれ。
成果として、介護業界に対するまとまった文章も準備していたけど、まだインプットが足りないか。
ではどうしよう。
例えば、僕の部屋はほんとに凄く汚い。で、その時点で一緒に生活するのは無理だってなるのがほとんど。そうして今やほぼ無職だし、それでも条件として無理だろう。でも、これで無理だったら、きっと一生無理だと思う。
現実的な部分はなるべく汚くしているだけという説もある。条件で好かれて嫌われるサイクルがほんと嫌だった。まぁきっと後付けだけど(笑)
条件が欲しいのであれば他にいくらでもある。
他人を条件で加点減点評価するっていうのはまともな感覚だけど、当人はきっと条件ではないって思っている。長く過ごしたとかなんとか。
そう言えば、こどもの時の方が時間が長くて、大人の方が時間があっというまに過ぎる観測への考察。
時間の観念が違う。時間への経験値もあるだろうけど、要は子供の方が一息の時間が長く捉えられる。大人でも普通にできることだけど、省エネにして枠で区切るからそんなことにはならない。
最後。
僕の日記に対して本心が語られているって思うのは、ホント的外れ。
こんなこといちいち言わなきゃならないのかって感じだけど、僕の現実的な本心は物理的な言動と非言語にしかない。
ここを読まなくても僕の現実とは接することできるし、傷つくなら読まなくて良い。
変な話、ここの日記撤退しようと思ったくらいのダメージだった。
傷つくなら、見えないところで書くしかない。
トータル、世界って凄く窮屈だなっていう感想。
おしまい。