硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

節目?

はてなブログからメールが来ていてなんだろうと思ったら、ここを開設して半年の通知だった。ちょうど今の仕事が始まる時に書き出したのだったか。良くも駄文を積み重ねたものだ。でも、ここ自体にはえネルギーは全然使っていない。頑張っている訳でもないし、書きたいとも違うし、ただの一日の出来事と考え事の一部のスケッチ。

 

今日、努力し続けるにはっていう記事を見たけど、1番はご褒美をつけないことだと思う。習慣として自動化するのも同じで、結局は自分を縛っているような。ご褒美はペットに芸を仕込むのと似ていて、習慣は機会にプログラムを組むことに似ている。

 

報酬がないと動けないって、全然人間的ではないような。

それが生活だと言われたら、黙る。

 

さておき、というか、最後の昼食は最初の方に別の人が連れて行ってくれた中華バイキングだった。中華に始まり中華に終わるのはなかなか楽しかった。新参者を連れて行くルーティーンがあるのかも。

 

話は予想通り、次の仕事は決まっているのかっていうことだった。

準備はしていたから歓談できたし、それなりに心配してくれいるみたいだった。ありがたいけど、もう少し穿つと、人事権はこの人達にはなかったのだろうなっていうより、別に人事に推すほどのこともする気がないのだろうなって。

 

別に僕のことはどうでも良いのだけど、同い年の人が同業他社に転職したのですかって聞いたら、そうだって答えながらぼやかしたし、この人に対しては職場でお別れ会みたいなことをするみたいだけど、そんな感じでこれからの経営どうするのだろうって、逆に心配になる。

 

全員個人主義で、纏める視界を持った人が全然居ないような。

それでも存続できる業界だからなんとか纏まっているけど、5年後どうなっているかは不明。

 

やりにくかっただろうって労われた。

経理の人だから微妙に距離感あって、遠目で見たらその辺りが見えたっていうか、何か疑義があるのだろうけど、普通に会話はしているけど、詰めた所で意見交換が行われない風習になっているみたい。

 

お世話になったという気持ちはあるけど、これで良かった感しかない。

最後の菓子折りをどのタイミングで渡すかは迷っているけど、自分がしたいと思ったタイミングで良いや。どうせ相手は自分のことを忘れるのだから、自分がハッピーになるようにしたらいい。

 

 

って考えていくと、結局は世界の主導権は自分が握っているっていうことになりそう。主導権っていうのはコントロールも含んでいるけど、もっと広く世界の見え方でも。自分がどうするかっていうところしか世界を変える手段はない。

 

なかなか世界が面白くなってきている。

 

 

ところで、死について!

人は生き続ける備えと死に対する備えが必要だっていうフレーズがあって確かになと思った。基本的にはどちらにも備えがない人が多いような。単なる反射と傾向。

 

別にそれでも良いのだけど、問題は、それを他人にも求めること。

自分の欲求が本当に自分のものなのかどうかは省みる必要がある。

 

 

最後。

 

この半年で2000くらいアクセスあるみたいで、何人か分からないけど、読んでくれたことより、読んで考えてくれていたら幸いです。別に反対意見でもあさってでもいいし、頭が回ってくれていればいい。

 

 

おしまい。