硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

契機

メインはほうれん草とひき肉とネギと人参のオイバタソテー。バターで炒めるとほうれん草が鮮やかに見える。あ、この時間にヨーグルトも食べると発酵食品だらけで健康な気がする(気がするだけ)。近頃ヨーグルトもプレーンのまま食べている。ミルクティーも無糖だし、家帰ってからの間食も、チョコレート効果の86パーセント。糖分制限しているわけではないけれど、いつの間にかこんなことになった。まぁご飯を食べているから大丈夫だろう。

 

 

そう言えば、炭水化物と糖分の関係ってどうなっているのだっけ。炭水化物は焼いたら炭になるものだったような気がするから、砂糖は炭水化物に含まれるのか。砂糖はとうきびとかてんさいを精製してできるから、炭水化物の中の穀類かね。グラニュー糖は何でできているのだったけか。

 

 

さておき。

 

本日は帰ってからすぐに転職エージェントに登録した。嫌なことがあったらすぐに、みたいなことに含まれるのかもしれないけど、ここにはあまり長居してはいけないなと感じたから。1つは、金額としては大したことないけど、労基案件になりうる。鍵を持っている社員が遅刻して中に入れなかったのだけど、その時間が勤務時間から除かれたこと。少なくとも6割は、とか社員はきっと月給だし痛くないだろうみたいなことは全然どうでも良い。本当に。

 

書いていてあんまりおもしろくないな。

要は、規律が帰属意識しかないっていうところ。ほぼ10年以上の人だから、いまさら離れないし、離されないだろうって無意識があるんだろうなと。1番できる人はその辺もしっかりしているけど、お互い注意する訳でもなし。ここにはここのルールがある、みたいなことを最初に言われたけど、こういうことが含まれているなら、なんか嫌だなって。

 

 

あと、これも面白くないのだけど、ある人の指示が全然分からなくて、なんだか見下すように笑われたこと。分析してみたら、僕が認識している言葉と相手の認識に齟齬があったというものだった。聞き直してもよく分からなかった。

 

見下されているように感じたっていうのは、きっと相手はそんなことは思っていない。僕がそう見ただけ。それに、自分が感じることってほとんどが自分がどこかでやったことがあることのブーメランみたいなものだし。

ということで、無知を笑うことについて。

 

思春期くらいまでの話しかね、僕はずっと疑問に感じていたはず。誰かよりできたことに対して優越感を感じた記憶がない、というのは厳密じゃないか。他にやり方を知らなかったときは、少しは見よう見まねで模倣していたと思う。そこでの自分の振る舞いもきっと嫌だった。

 

これに意味がないっていう感じ方のままで良いんだって気づいたのは地元を離れてから。無知を笑う人は、自分のちっぽけな知を必死になって守っているだけの人。って言語化できるまでには至らなかった20代。

 

でも、これもきっと自分を守るためには必要な作用だと思う。

生活にはこういうことも含まれるのではなかろうか。自分の知の中だけで生きるのなら。ただ、財産を持っていることと、財産を持たない人を見下すことは繋がりやすいけど繋げなくても良いこと。

個人的にあんまりこういう輪では生活できないというだけ。

 

 

そういえば、大昔自分はもっと人懐っこかった気がするっていうことも思い出した。素直でいると誤解されて生きにくいっていう処世術を覚えたのかもしれない。

 

 

うわ、また時間が。

 

最後。

こういうことを考えていて、ふと思ったこと。

 

 

現在のその人は、当人が今まで自分を洗脳してきた結果だよな、と。

洗脳というと聞こえが悪いのは、洗脳はおそらく洗脳する側の利益になるようにっていうニュアンスが含まれているからだと思う。それなら学習でも習慣づけでもなんでも良いけど、この場合も広い意味で自分の利益だと思う。

 

人は恒温動物で人体は恒常性を持つわけだけど、肉体と精神は繋がっているから、精神にも恒常性がある。ということは、恒常性を守る方が自然で、自然は無理がないことだから、利益。どこかに怪しい命題がある。

 

まぁいいや。

この先は省こう。

 

 

おしまい。