硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

論理則

 

 

星の数ほど何某かっていう言葉は、いずれ限定された意味になるかもなぁとか、田舎の空と都会の空を比べて思う。実家の周りの人はどんどん減っているらしい。とか言いつつ、新居もいくつか建っていて、やはり何処にでも生活の営みは紡がれているから、なんだかんだ、星の数のイメージは減らないように思う。しかし、潜在的にはたくさん在るよっていう意味は、もう含まれているか。

 

 

さておき。

 

東洋医学的には、気、血、津液っていうのが体の構成要素とのことらしい、細かい定義は省くけど、確か薬缶に入った水を温めている時の、蒸気が「気」、火が「血」、中のお湯が「津液」とのこと。ってことは薬缶が体の外殻か。ということで、この中の何かが偏ると何某かの不具合が生じるとのこと。まだ全部は覚えていないけど、自分の症状は気滞にあてはまりそうだなと思っている。

 

ご飯の話。

 

気滞にはセリとかセロリとかピーマンが良いらしい。あとは鮭。加工品を探していたけどなかなか良いものがなかったのだけど、ちょうど無添加の食塩しか使っていない鮭フレークを見つけて購入した。もやしとしめじとえのきを白だしでレンチンしたものと和えた。

 

あと二品は地元由来の食材。

 

メインは、ふきのとう味噌を使ったもの。母親とドライブに行った久万の道の駅(道の駅巡りした)で見つけた。あと、ゆず味噌と山椒味噌の三点セット。これに惹かれたのは、昔読んだ有川浩さんの植物図鑑という本にあったから。ふきのとうは苦みが強すぎるから、てんぷらだけでは食べきれなくて、保存食として味噌にするみたいな下り。炒め物に使ったから風味が飛んでしまったけど、まだまだ残っているから、直にきゅうりに付けて食べよう。

 

山椒味噌はお土産。山菜大好き。

 

山菜と言えば、今日は七草粥の日。

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これを書けるのは、タイピングの練習やっているところで出たからか、もともと知っていたか定かではない。都会人はパックでセットを買うのだろうけど、僕は小さいころに群生しているのを集めて料理してもらって食べた記憶がある。

まぁそんな時代に美味しいとは思わなかったけど、正月は不摂生をするのが歴史的にもあってみたいで、弱った胃腸をリセットするっていう意味合いもあるらしい。栄養価を化学的に知らなくてもそういう知恵がある、っていうのはなかなか凄いこと。

 

 

卵料理は、植物学者おじさんとの別れ際に、お裾分けしてもらったもう一人の叔父さんの嫁の実家の岐阜県の地鶏の卵の目玉焼き。黄身がやたらと黄色くてやたらと美味しい。

 

 

もう1人の叔父さんとは今回は対面しなかったけど、この人は地元に強制送還して公務員でもさせたら良いって言っているって母親から伝聞されていた。

 

けども、今回息子とちらっとそのことを話したらニュアンスが違った。

色々知識とか収集しているだろうから、それを活かしてこの自治体を面白くできるだろうみたいなことを言っていたらしい。

 

これはこれで面白そうな世界線だと思わなくはない。

 

 

 

ところで。

 

普段あまり年の変わり目って気にしない。客観的に見て便宜的な区分でしかないから。

でも、なんだか今年は世界が変わったなって否応なく感じる。

 

さっきまで見ていたアニメ。ココロコネクトっていうやつなのだけど、自分がどういうキャラなのかっていう枠で生きるんじゃなくて、自分がどうしたいのかで生きるんだって主張していた。シンクロニシティはフラットな精神にしか起こらない。

 

従弟と繋がることも想定していなかったけど、あえてうちの兄弟が疎遠になったからっていうところもあるかもしれない。うちの兄弟は良くも悪くも母親に縛られているから、何かを語るにしても、母親が基準になっているし。従妹たちも父親を基準としているけどこちらは尊敬だから意味合いが違う。

 

妹はまだ縁を繋げているみたいだけど、なんだか姉をトレースしているだけのような気がしないでもない。二人目の孫は見せに来るけど、大きくなったらきっとなくなるだろう。

 

自分がゲストっていう意味もきっとここにある。

きっと、自立(自律)していないって思われているから。

 

 

もう1つ世界が変わったなっていう話。

もう更新しないって言われたから、職場では生きづらくなるだろうなってげんなりしながら言ったら、その通告した1人の筋肉の人に正月は実家に帰ったんですかって雑談を振られたところから。今年もよろしくお願いしますとも言われた。

 

もう1つげんなりしていたのが今日は仕事始めだから皆で昼食を食べるっていう風習があるところ。昼ご飯代が節約できるっていうのを差し引いてもめんどくせーって思っていた。同い年の人は風邪で休んだのだけど、こういう纏まりが嫌だったんだろうなって勝手に思っている。

 

んで、苦手だと思っている上司がたまたま隣に座ったのだけど、別に会話もないだろうと思っていたら、なかなか密な会話になった。要らない人に聞く必要がない、どうしてこの仕事をしようと思うのかとか、くいっぱぐれないならもっといい仕事はあるよとか。

 

 

なんだ、皆良い人じゃんって。

いや、単に雑談振っただけだっていう説もあるけれど、別に振ろうが振らまいが任意で。

 

 

ということは、自分の仕事が足りなかったとか、コミュ力がないとかが原因ではなかろうって、勝手に思うことにした。楽観精神は大事。

 

 

最後。

ホットミルク飲みながら。

 

 

自分がどうしたいかっていうと、いまだに具体的な職業は思い浮かばない。一応法律職を目指しているけど、ここに限定された仕事をしたいのかっていうとなんだか違う気がする。

 

ただ、自分の生活はどうでも良いのに他人の生活が気になるっていうところはある。っていう文脈で言うと、元恋人さんが気になるのは、ちゃんと生活できているっていうところを知って安心したいのかもしれない。

 

でも、これを普通の対人交流に引き直すときっと矛盾が生じるなっていうとこから、あまり交流しないんだろうなって。ということは、自分の生活も安定させないといけない。

 

 

行きつくところは同じかもしれないけど、成り立ちは違う。

 

おしまい。