硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

無視

今日はちゃんと夜ご飯を食べた。弁当に使いにくい食材を味噌汁にしたら思いのほか爽やかに。みょうが、ズッキーニ、ミニトマト、オクラ。ズッキーニ美味しい。

 

 

さておき。

 

君の名はが地上波で流れたらしく、賛否両論が上がっているみたい。今更という感じだけど、批判も分からんではない。僕も正直、口噛み酒は気持ち悪かった。好きな人が作ったとしてもなかなかの性癖レベル高いと思う。ただ、物語に必要な装置なのだろうなとは思ったし、特にそれ以上気になることもなく。でも全部が気持ち悪いかったという意見もあった。女性がないがしろに表現されているとか女子高生の性的価値云々。別にそれ自体は構わないと思う。個人的にはミーハー的にこの作品だけ見ても特に分からないのではとは思うけど。この作品単体は壮大なPVみたいな雰囲気だけど、まぁ合う合わないはある。秒速5センチメートルと対比で見るのが面白い、と思う。

 

けど、別に見ることを強制される訳でもなく、映画館でお金を払ったわけでもない自分が気持ち悪く感じるものを最後まで見て批判するっていう感性が凄いなと思う。得体が知れないという意味ではこちらの方が気持ち悪い。単に現実(ここでは作者とか社会みたいなもの)を嫌悪感で叩くために映画を道具として使っているのではという感想。村上春樹の女のいない男たちを批判した人達と近い感性のような気がする。

 

こういう感性だったら表現物が現実に悪影響を及ぼすという主張には整合性がある。だって当人たちがそうだし。僕の感性が正当だとも思わないけど、表現物に対する好悪って共感とか議論には適さないと思う。感性の交換くらいならいいけど、基本的には自分と表現物だけの関係でしかないような。僕は気持ち悪くて後味が悪い作品も嫌いじゃない。この嫌悪感は自分のものとして大事。まぁ嫌悪の種類が違うだろうけど。

 

そもそも共感してもらうことが良いことだという観念がないからこうなのか。

内省不干渉、でもないか。

 

そういえば、寝る前に好きを他の表現で言い換えるならなんだろうっていうのを考えていたのとも繋がっているのか。網羅的に言い換えることはできないだろうけど、1側面として、包まれるっていう言葉はどうだろうと。自然とか絵画とか演劇とかなんでも良いけど、好きなものに触れているときの感覚はこんな感じかなと。母性願望みたいな包容されるとか自分が肯定されるみたいな話ではなくて、もっと圧倒的に自分がいなくなる感じ。これを対人にできるのかというとなかなか難しいところだけど、包まれているから包みたいとかそんな風になるのだろうか。でも、やっぱり何か違う気がしないでもない。

 

眠くなってきたのでここまで。

 

おやすみなさい。