硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

弛緩

内臓を労うためにあまり食べないことにした。弁当には昨日の残りのおかずとレンチン目玉焼きとミニトマト。さっさと寝て朝ごはんからは通常営業に戻っていると思われる。みょうがの味噌汁作れたら最高だけど、朝自分にどれくらいの時間の余裕と気力があるのかは分からない。

 

 

猛烈に本屋に行きたい。最寄り駅の駅ビルの中にあるリブロではなく、もっと大きな専門書がある田村書店紀伊国屋ジュンク堂か。何を目的とするでもなくぶらぶら立ち読みして、適当に出会った本を買うみたいな。まぁその前にいくつかすることがあるけども。そういえば派遣元の会社で申し込んだ無料講座のVLOOKUP関数も進めていかないと。定期的に滞らないと不具合が生じる仕様なのだろうか。というか定期的に滞る不具合が仕様なのか。まぁ人間なんてそんなものかしら。

 

今は時間を作ろうと思えばいくらでも作れるから滞るのはもったいない。まぁもう戻らないと思っていた部分の自分の感情の波が戻ってきつつあって、それをコントールするのが大変というのもある。観察するのは面白いけども。もともと欠けているものでない限り、いずれ回復するものなのかな。まぁ興味の源泉を考えると、なくなったのではなくて沈んでいただけなのかしら。

 

気になった判例を予定時間越えて調べたり、お風呂で1ずつ読み進めることにしている水滸伝を勢いあまって2章読んでしまったり。長々調べていた判例は問題とは関係なかったのは残念だったけど、役には立つ。

 

あと、なんだろう。今日はなかなか頭の回転がゆっくりしている。

 

仕事は忙しかったからか、逐一上司に応対を聞いて貰う対応ではなくて、1人である程度聞きとって折り返しにして、回答は他の人にやってもらうみたいなことになった。これこれで結構楽しい。会話の回路が使われると活性化していく気がする。

 

 

もう眠いので最後。

 

穏やかに過ごしていると、なんとなく穏やかじゃないようにしたくなるのは、きっと精神的恒常性なのだろう。だから、穏やかなのが通常になれば恒常性は逆転する訳だけど、なんとなく安心していると足を掬われてしまうという不安もある。この不安がどの経験則かっていうのもだいたい把握しているけど、人生は確率じゃないだから経験則なんて当てになるはずもなく。

 

とりあえず、しばらく肩の力を抜こう。

 

 

おやすみなさい。