硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

延長

最寄りのコンビニに新しい店員さんが入っていた。トレーニング中の初々しさは可愛らしい。上がなかなか濃いから定着するかは不明だけど、雇用に関してもあまり不自由していないというなかなかの加護。大学入学の直後だから、どこも新人さんが多いけど、単純に凄いなと思ったのは、最寄り駅のスーパーの新人さん。レジ打ちは単純作業だとされているのかもしれないけど、かなり人柄が出る。セミルフレジとかレジ袋有料化とかで、1人1人の裁量が広くなったというのもきっとあって店員の負担も増えている。生ものを袋に入れてくれる人とか、袋入りますかをどのタイミングで聞くかとか、色々あるけれど、その人が凄いなって思ったのは、会計が終わった後のかごの持ち手を上げて持ちやすいようにしてくれたこと。これは数ある観察してもなかなかないし、先輩方もやらないようなことをあえてやったというころは、自分が客の視点でこうしてくれたら嬉しいなっていうのを体現しているような。先輩方にそこまでしなくて良いよって言われてそうだけど心遣いレベルがすさまじい。あと、コンビニの早い人に対してはこっちが店舗合わせて早くするとスムーズとか。単純作業と思えばそうだし、そう思わなければそう。世界はそういうもの。

 

さておき。

 

なんだろう。なかなかうまいこと睡眠が取れない。今日は寝られないなぁと思っていたら午前3時に隣人が洗濯機を回し始めて、たぶん洗濯忘れなのだろうなとは想像するけど、妨害甚だしい。けども、その前にちゃんと慣れていればきっと起きることはなかったわけで、自分が悪いという捉え方もある。常識非常識ではあまり判断したくない。最初に思ったのは、さっさと引っ越せるようにならねばということ。

 

現実的に人生は有限で、関わる人っていうのは限られている。関わりたい層には自分から動かないと無理だけど、関わりたくない層に対しては、自分から離れるで良い、というかそうじゃないと、いつまでもそういう層に捉われるだけ。僕が性善説でいられるのは、たまたま最初がそういう世界だったからというのはきっとある。SNSで世界が広がるかっていうのも、そんなことはなくて、同じような仲間が見つかるっていうのはあるだろうしそれは救いだけど、なんとなくその精神性を維持するような偏向になっているような気がしないでもない。要は、結構運ゲーみたいなところがある模様。

 

他の誰かないし自分がやっているということを根拠に、個人的な関係の相手もそれをするのが当たり前だっていうっていうのはある意味依存か従属だよなぁ。もっと自分を研ぎ澄まさねばっていう方向に行かないといけない。自戒。

 

 

ハッピー論でいうと法学系の復習を書くのが一番良いのだけど、なかなか難しいところ。だって、ここも限定された世界であって、人を経済活動とか家族関係で抽象化しているものだから。

 

法学教育が横断的になされればいいと思う。刑事裁判と民事裁判は違うとか、憲法は法律じゃないとか民法はかなり賢い当事者を想定しているとか、商法の至上は経済的な富の最大化だとか。あとは、民法と税法はセットでやらないと現実にそぐわないだとうって。これができないのって、法律学がそうなっているっていうより、たぶん学者の専門分野の分化っぽい。もちろん、どの分野だって歴史とか輸入とかで成り立っている訳で、分からんでもないけど。

 

数学と物理は繋がっているけど、繋げて教えられないジレンマも近いのかな(想像)。

物理学もやりたいけど、なかなか大変。いずれじゃあ遠い。

 

 

今日はすんなり眠れそう。

もっとあやふやな言葉を使いたいなぁ。

 

あやふやだと、想像が拡がる。

 

 

おしまい。