硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

越境

ピーマンの肉詰めを作るつもりだったけど、タイムマネジメントの不具合でタイミングを逃した。作ったことなかったから楽しみだったのだけど。実家では良く出ていた。ハンバーグを半分に切ったピーマンに詰めるということかな。ハンバーグは1人で作るとコスパが高いからあまり作る気がしないけど、マーボー茄子の余りと考えればそう悪いことではない。ご飯は1回で終わるものではないし。そうして安かった鯖缶ももそもそ食べようとしている。

 

歯が痛くて食が楽しめなくなるように、口内環境って食を楽しむための前提項目みたいなもの。歯医者がおっくうというもの分かる。昨日歯医者に行ったときに抜いた神経に何かを詰めるっていう治療をやってもらったのだけど、口の中でなにかが焼ける匂いがするなんて、なかなか生きた心地がしない。どこかの神経に誤って当たってしまったらどうなることやらって。舌の下の動かすときにやたらと可動してしまう肉の部分に口内炎ができて気になる。けども美味しいものは美味しい。今の嗜好は魚介系に寄っているから、我が家ではあまり食だけて良かったとはならない。

 

 

食には、色々栄養学的な意味以外の栄養があるのは確か。

食も文化に規定されている部分があるし、文化じゃない部分もある。栄養価みたいな独立した部分で語るからおかしくなるのかどうか。

 

 

さておき。

 

興味というのも面白い観念。

日本語のニュアンスが面倒なのは、「が」だとそれしかないだし、「は」だと他と比較しているみたいだし、「も」だとなんでも良いみたいなところ。僕は雑食だから「も」がちょうど良いか。

 

 

今この日記と並行して劇評の公募の文章を考えているのだけど、なかなか難しい。明日締め切りだから今日ざっと書いて、明日推敲してから出すつもり。執筆した文章も同時に要るかから、この前演劇見にいった感想日記をPDFにして送るつもり。誤字脱字は直すけど、編集するかどうかは未定。

 

興味っていうのは結構、怖さと紙一重みたいなところがある。ということをひしひしと自分の文面から感じる。こんなので大丈夫なのかみたいな。でもこれって、自分の言葉を想像した読み手をして見ていることに近い。自分が自分の表出物の読み手になってしまったら、その人物はいったいなんだろう。

 

 

ということになると、何も書けなくなる。どうするの?誰かに悪影響あるんじゃないみたいな自分が

 

 

なんにせよ、自己紹介が苦手。途方もなく苦手。

どうしようもない。この日記で描いていることが途方もない自己紹介だというなら、おそらくそれは確かだけど、纏められてない自己紹介なんて紹介ではないという矛盾。

 

 

じゃなくて、興味と畏れの類似性か。

 

新しいところに踏み出すことが楽しいだけっていうのは子供の感覚で、そこには他人が想定されていない。実際は、そこに生きている人はいくらでもいるし、そこの界隈が受け入れてくれるかっていうかっていうのが出てくるのが関係というか社会を知った後に出てくる。そうして、その先が、本当はその界隈の既得権益は参入者の固定観念でしかないという、自分が作り出した檻みたいな。

 

何かをやりたくなったらやってみたら良いみたいな結論。

しかし、それを実践するのはなかなか大変。劇評もなかなか怖いし。自分の文章に価値が出てくるって嬉しいことなんやろか。想定読者が増えるから主客がスクランブルする気しかしない。そもそももそもそ。悪影響なんて考えていたらなんも書けないし。演劇は公メディアに晒されなかったから、独自に発展できたのもありそう。

 

悪影響宗教界隈はかなり恐ろし気な世界観だし。

 

 

そのまま現実に戻ってきて。10歳ユーチューバーがかなり叩かれているみたい。おそらくTwitterを使っていない人には何の影響もないのだろうけど。確かに義務教育くらいはやっとけみたいな意見があったり、不登校の理由が宿題が嫌だ、ロボットになりたくないっていうところに違和感があったりするのは分かる。O157の時の風評被害みたいにメディアの意見に流されるみたいな。外の人からすればカイワレ大根がスーパーに売ってなくても食生活にほとんど影響がないけど、影響された側からするとたまったものではない。

 

ただ、自分がしんどいことをしてきたという経験則で、不登校したらのちのちしんどいことになるぞーっていう見解は誰の為にもならんだろうとは思う。自分の劣等感を関係ない子供にぶつけるなよと。そういう人はどういう文脈にせよ実生活で自分に対して寛容を求めているのだろうという気はするから、別にどうでも良い。ユーチューバーはほぼ見たことない。メンタリストはちょっとだけ。

 

そうじゃなくて、世界の見え方の話。この10歳に対して、肯定否定にしろ、見解でこの人の将来に責任は持てないのに好き勝手言うところ。他人事を正義でいう言葉で括るのはなかなかいただけなくなる。

 

 

と言ったあとに、やっぱり勉強は大事だというのが自説。

勉強って言うと何か知識を入れるみたいなことに限定されそうだけど、そうじゃなくて、実学も含めて。自分が本当に興味に思っているかどうかというのは、他の世界も知らないと比べられない。知識を道具としてしか使わないなら、興味はどういう時系列でも同じだろうなとは思うけど。強制的じゃなくて、自発的に何かしんどいとされることをしてみないと、自分は見えないような。個人的にはしんどいと思っていない矛盾。

 

 

最後に。

 

速読を越えた瞬読というのが広告で出てくるのだけど、別に変な話ではなくて、人って外界の膨大な情報を並行的に処理している訳で、文字情報だけ目で追わないと分からないっていう方が変だということ。まぁ、処理したものを再現できるかというとまた違うのだろうけど。

 

 

おしまい。