硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

問題提起

 

足がだるいと思ったら、若干筋肉痛になっていた。これは肉体の劣化なのだろうか。歩く筋力をここまで日常で使うことないからしょうがないとしとこう。

 

 

ふと思ったこと。

 

人が持っている経験とか知識とか技能は、どれだけそれに時間をかけたかということに尽きる。ここでは時間だけが貨幣になりうるもの。自発的に時間を使うことと、拘束される

時間を自発的に決めることは微妙に違うけど。

 

人付き合いが上手いとか恋愛練度が高い人はそこに時間をかけてきただけで、能力とか才能の話ではない。ほとんどは。

 

そうして、泥沼の中総合ニュースアプリを見ていたのだけど、旦那のことが大嫌いみたいな漫画を見て、なんだろうなぁって思った。専業主婦の人が主人公で、旦那の機嫌を取るために生きていることがいかんともしがたいみたいな。何も家事をしない旦那が、育児しながら仕事をしている嫁を見下すというやつ。

 

友人もこの観念で一瞬分かれるかどうかになったけど、友人とこの旦那が違うのは、友人は仕事から帰って育児をやっていたところ。

 

 

ところで、貨幣が紙幣になったのは、割と歴史は浅くて、国家が後ろ盾した信用を価値としている、らしい。ここから言うと、夫婦みたいな役割とか立場みたいなところも、何か一般論的な信用があるのだと思う。

 

 

素朴に考えるとなかなか変な話だけど、そういう風にしないと人は人を信用できないっていうのは分かる。要は自分の時間を使う価値かあるかどうか。

 

僕はこの辺りなんとも思っていない。

自分が相手に時間を使いたいと思うかどうか。別に何か返って来ると思っていない。需要と供給関係からは随分離れてきた。でも、これって自分のために誰かとの関係を守るみたいなエネルギーは生まれない。知らんけど。

 

自分が自分で良いのだってっていう実感はどのアカウントでもない。

(天の邪鬼だから言っているだけっていう説もある)

 

変な話、この文章アカウントと実際に接しているアカウントと、どっちを信用するか。

文章アカウントは友人にも見せていない。これは見せたくないじゃなくて、見せても良いけど、像がブレるから止めている。

 

 

まぁ良いや。

 

ここは酔っ払いアカウントだから変に言葉が錯綜しているけど、酔っ払わないと過緊張で困る。頑張れっていう言葉もなんか上から目線で嫌だけど、一般的には励ましているっぽいニュアンスだから適当に流すけど、僕の人格形成の時系列で、頑張って何かを貰ったことはないから、あまり嬉しくない。

 

それより、勝手に大好物の方が良い。

 

頑張れとか頑張ったことにご褒美を与えることは、動物的交換的であまり好きじゃない。

 

僕はプレゼントしたいなって素朴に思うことは多々あるけど、本当に贈ったのは、もう戻ることはないって決まっていた元恋人さんへのピアスくらい。最後のデートで、新鋭アーティストのマーケットがあって陶器のエメラルドグリーンで可愛らしかったし、その時はお金も比較的にあったし、あげたかったからあげた。

 

でも、これって本当に返ってこないと自覚したからそうしただけ。

 

だいぶねじ曲がっている。

 

 

やろうと思えばそうするフットワークもあるし、そうやって自尊心を収集していくっていう人生もあったのだろうけど、それは選ばなかった。

 

返ってくるって分かっていたら面白くない。

面白くないというか、これって人間関係なのか?

 

 

そう、ここをちゃんとしないといけないのは分かる。

現実的なアカウントとして。

 

 

そうして現実的なアカウントは今日髪を切って最終面接っていう過密スケジュールだけど、このアカウントしてはどうでもいい。ここは、純粋に自分が遣った時間から持ち帰ったもの意味を持たない。

 

 

本当に僕で良いのですか?