硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

(後)

 

定義って、あまり一般的な用語ではないのかな。大学まで行っている人は知っているだろうけど、別にここは言葉の「意味」でも変わらない。定義は、定まった自明の意義ではなくて、誰かが定めたものだし、意味だって、「意」図的に「味」付けしたものだし。

 

ここの意味は分かるかね。別に分からなくても良い。

 

たまたま見ているアニメが、自分を使い分けるみたいな話をしている。

自分を演じる、本当の自分を忘れる。僕も分からない。これは氷菓シリーズの「いまさら翼と言われても」っていうのにも繋がるし、自由とは何ぞやっていう話になる。

 

ここも難しい。

けど、わかり易い。要は、自分をどう定義するか。

定義してしまえばなんとでもなる。

 

定義するのが難しいのは、あまねく真理。

 

 

はいはい、では、やっと日記に入ろうか。

 

1つの事例問題。

6カ月の紹介予定で勤務した丁度半月の年末。上司に呼び出されて、正社員の道はないよと宣告されるとき何を思えば良いのか。翻して、ここで派遣元を通さず本人に宣告する心理。

 

礼とかマナーを重んじている業界なのに、あまりに礼がない。

だって、この期間である以上、当人はなんの判断権もないのだから。

 

ということは、反応を観察されていたという説もある。

でも、観察しているということは、観察されているということともセット。

 

 

観察している側からすると、全然面白くなかったという説。

 

 

もっと色々あるけれど。

 

最後。

 

なんだか、この日記を書いている時間ももったいなくなってきた。

別に誰に響く訳でもないし、タイピングでも不必要になってきたし、この時間は他に回した方が良い気がするし。

 

ということで、一応年末年始は文章書くのを閉鎖する。

 

 

さようなら。