硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

悪い子

 

 

髪を切りに行ってきた。いつものお姉さんに戻ってよかった。最初の方は自分が熟考モードになっていて全然会話がなかったのだけど、そのうち会話になって、理容と美容の業界の微妙な関係とか、業界の労働環境が優しくなったとかそういう話を聞き出していた。自分が業界に入った10年前はーって言っていたから、思ったよりお姉さんの年齢が高いのは分かった。なんで美容じゃなくて理容を選んだのかっていうのも掘り下げてみたいところだけど、仕事の中での会話を越えてしまうような気がする。

 

好奇心で聞くわけではないし、考え過ぎだと思うけど、関係性の枠の中でしか無い会話というのはどこにでもあるような気がする。っていうところから、自分は中核ではない意味でサイコパスなのではっていう解釈が生まれたけど、これは書いてはいけない気がする。

 

 

それでも、人と会話をするっていうのは何処かが満たされるという感覚がある。楽しい会話というのも稀だけど、どういう会話にしろ未知は未知。存在で言ったら、会話はお互いに存在を刻みつける行為とも言える。だからスタンプとかいいねとかスターができた。

 

 

ともあれ、僕はコミュニケーションを人と取れない訳ではないのだなっていうのは自覚しとこう。ただ、自分がどう印象付けられるのかっていうのを想像すると障害がある、というだけ。こんなの余計な画策だし、むしろ良い印象が嫌なんだから歪過ぎる。

 

さておき。

 

 

死について! が届いた。

昨日神奈川だったから届くのは日曜日だろうって思っていたけど、今日やってきた。

 

 

63人中2人分読んだ。なるほど、インタビューは文体も寄せているのか。

ノンフィクションだって編集作業はあるだろうし、単にボイスレコードで聞いたものを文字化しただけでは読めるものにはならない。

 

でも、原案の方は読んでいると鳥肌が立ちっぱなしだった。

鳥肌が立つっていうのは個人的なレーダーでしか無いけど、芸術まで昇華されているところにそうなるって観測している。死に多く接するから生々しくなるのではなくて、生々しさを作るのは演出家。

 

 

 

はいはい、熟考モードになると、日記に書くのが面倒になる。

一応わきまえているから、何処まで書いたら良いのかとか、調整が大変。

 

 

 

酔えば酔うほど醒めるっていう矛盾。

 

 

おしまい。