硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

文字通りとは(前)

 

今日は新キャベツとアボカドとかいわれ大根が安かったから、ゆで卵とサラダにした。新キャベツとアボカドには目利き職人みたいな人がいた。新キャベツを一個一個もってひょいひょい放り投げて重さを測ったり。どうせ外の葉っぱは捨てるとは言え、あんまり触られるといい気はしない。目利きなら見て判断して欲しいところ。実際今日の新キャベは全然詰まってはいないものばかりだったと思うけど、それが広告の品というものである。

 

 

前置きもう一つ。

Wordさんとかウェブライティングとかだと、たりは二回ないといけないらしい。もちろん正式な文法だっていうのは知っているけど、作法に注視して文章としての趣がなくなるような気がする。

 

たりが一個しかなかったら、それは書き手が文章を知らないのではなくて、不文のたりを想像する余白を作っているのではと。そこまで自覚しているかどうかは定かではないけど、きっとそういうものがあるとして読む。

 

変な話、どれだけきっちり文法を整えたとしても完璧に読める訳でもない。

これはきっと共通認識はない。大きいものが証拠として必要なら、最高裁判所が言っていることだって一義的には読むことはできない。

 

みたいなことを前編としとこう。