一番無知なのは自分
今晩は何もしない日にしようかと思ったのだけど、なんとなくルーティンに従ってしまった。本は読むわご飯はちゃんと作るわであまり慣性は働かないのだけど。
まずは、アボカド切ってごま油と粗塩をかけた刺し身。ここ何日か食べたくて、でも弁当には向かないだろうし、広告の品になったときは触ったら明らかに固かったし、今日がちょうど良かった。わさび醤油にしようかと思いながらグーグル先生に聞いてみたら、そういう食べ方もあるらしいということでやってみた。思いの外美味しい、っていうか、生レバみたいなリッチな気分。
次は、イワシの缶詰とキャベツの千切りの青じそドレッシングサラダ。サバじゃない気分だったからこうなった。刺し身の気分でもあったけど、アボカドがその気分を満たしてくれたし。
あとは、ゆで卵を2個作って厚揚げと煮物。おでんの気分だったのだけ大根がないしなぁと。おでんはもう少し寒くなったら牛すじとかも用意して本格的にやろう。そうなってくると、だしも鰹節と煮干しとこんぶで本格的にやってみたくなる。
食といえば、仕事の時のランチの話。
僕は弁当を持っていってコンビニで味噌汁と水とコーヒーを買ってイートインで食べている。もう少し仕事場に馴染めば仕事場にあるインスタント味噌汁とお茶で節約できるかもしれないけど、なんとなく歩きたい気分だからなぁ。
で、今日となりに座ってた男性がカップラーメンを買っていて、カップラーメンだけかぁ、少なくないかって思っていたら、僕の弁当箱より1,5倍の大きさの弁当箱が出てきて、認識を翻した。炭水化物地獄だと。
よく、ご飯をよく食べると胃が広がるみたいなことを言うけど、胃の消化能力は上がったりしないだろうから、消化待ちの容量が増えるだけのような。
要は、過剰な摂取は精神的には良いのだろうけど、その分肉体が割を食う。
そういえばいつのまにか食道の逆流っぽいものはなくなったな。
今日久しぶりに手汗をかいて、自分が手汗マンだったの思いだした。
という流れでいうと、そろそろ風邪を引きそうだなって思っている。
ネジが緩んできたというか、フラットになってきたっていうことは近いうちに精算があるだろうなっていうだけ。
風邪は精神の睡眠みたいなものだから、定期的に引いておいた方がいい。
引かないようだとそのうち病名がちゃんとつくような事態になる。
でも、こういうことを思っているうちは風邪を引かないとも思う。
それどころでなくなって意識から外れたか、もう引かないだろうって安心したくらいのタイミングでちゃんとやってくる。
なんだろうな、ここの話は、現実は意識の外にあるみたいなこと。
仕事を休む大義名分としては風邪はやってこない。ってところから考えると、っていう話は結論が出ていないからうやむやにしておく。
そうして、仕事の話は、なんだかやたらと仕事量が多くなった。一番近いキャリアが近い人が仕事多いなら手伝おうかって心配するくらい。この事実には解釈は何通りかある。
一番ネガティブな解釈としては、仕事をやたらと回すことで潰してしまおうっていう説。
でも、単純作業じゃないものばかりって考えると少し違うという評価になる。
一番ポジティブな説は、こいつが何処まで処理できるか試しているというやつ。まだまだ上限あるだろうって。
一番穏当なものとしては、急ぎじゃない仕事をそれぞれが投げている結果こうなっているというだけ。
正味、真実はどれでも良い。どれにせよ、ここのやり方が分かるから。
仕事で言えばもう一つ。紅葉を見に行きませんかってイベントの告知があった。あぁこういうの定期的にやっているのだろうなって思ったのだけど、一番キャリアが近い人と雑談したところ、2年程では一回もなかったらしい。新しい試みとのこと。主催者だけしか参加しないなら嫌だって本音も漏らしていた。女性陣では一番若いからその分色々思う所もあるのだろう。
この一番近い人は同い年の女性フォルムもスラリとしていて、造形も全然悪くない。申し分もないのになぜ一般ルートをたどっていないのかは気になるところ。
単に気になるだけで、興味の範疇ではないのだけど。
そうして、深夜の自分と交代。
今日の夢は、一個は面白かった。
太陽と地球の大きさの違いっていうのが模型みたいな感じで脳内に転回した。実際の比率と同じかどうかはしらないけど、太陽と比べて地球はやたらとちっぽけで、月はそれよりも小さいからどう見えるかっていうのも当たり前だっていうのを夢が視覚化してくれた。
もう一個の面白くない方は、元恋人さんが出てきたやつ。
文章化するのも面倒だから省略。
そうして、昨日の日記と繋がっているのかどうかは知らないけど、質量の話。
アインシュタインさんの説はほとんど理解していないけど、質量は空間の歪みだっていうのは分かりやすなって。重い物には引き寄せられるし、引き寄せられた物自体にも重みがあるし。要はこういう仕組みで世を捉えると規模が途方もないピタゴラスイッチと同じこと。
こういう自明とされていうことについて考えても仕方ない。
だから、精神的質量について考えてみる。
重みとか深みを感じる人って居るかどうかは知らないけど、そう思った時点で、その人の重力に引き寄せられている。これってきっと天文学と変わりないと思うのだけど、普通はこれを他のものと一緒くたにしている。
ところで、仕事の時に、他の人は全然やってくれないのだけど一応言っておくみたいなことがあった。時系列での承継ってこうやってより良くなっていくのが普通だと思うのだけど、なぜそうならないのか。既得権を守るから。
そういう意味でしか自己の優位を保てないっていう意味合いもきっとある。
僕はそういう感覚はほとんどない。
近しい人は面白いかなって思うけど、だからいって関係を構築したいとは思わない。
量子論から持ってくるのだけど、観測している時点で相手に影響を与えてしまうことになるから、あまり関わらない方が面白かっただろうなって。
これは経験則だけど、他人と深く関わる程、相手も自分も損なうことになっている。
現象としては同じだけど。
そう、歴代の恋愛関係は、僕が悪かっただけ。
僕と関わらなかった方が皆幸せだったろうなって思っている
共同生活に魅力を感じない。
結婚は良いものだ、子供を創って育てるのが生活だっっていう考え方は未だに多数派だろうけど、自分の人生を考えると、そこまでの余白はないだろうなって。
そもそも継続するっていうことを目的にしていないし、そこで誰かが出てきたら、もう本筋が死んで、跡継ぎへの生活になる。
それが良いのだっていう考え方もあるし、肯定はするけど、だからといって自分がそこに馴染めるかって言ったらぜんぜん違う。
僕の夢があるとすれば、今の所、偶発的な事情でこの世界から退場すること。
最後。
世界の構造みたいなことだけど、そもそも生きるために目的は必要なのだろうか。
生きる目的を語る人も、社会的に生きることしか語ってないし。
唯生きるで良いじゃん。
ということで。
おしまい。