告白
今日はなんとなく、全品時短のレンジ料理。まずはえのき、しめじ、まいたけ。椎茸が冷蔵庫に入っていたのを失念していたのは残念だった。バターとふきのとう味噌だけの味付けで蛋白だけど美味しい。きのこのマリネも気になるのだけど、組み合わせで断念。
きのこは粘菌だっけ、その菌は完成したらどうなるのだろう。細菌として何か効用があるのだろうか。叔父さんに聞いてみよう。
メインは、豚こま肉ともやしとわさび菜を塩コショウと酒で蒸してポン酢かけたもの。わさび菜は好き。あまり出回らないし安くならないから希少なのだけど、できれば常備したいくらい。
安いと言えば、今日きゅうりが広告の品で、1本39円だった。僕も前に同じ値段のときに1本買った。トゲトゲがイキイキしていているって意味なら分かる。実際美味しかったし。
ただ、安いのかって言うと、微妙なところ。嬉々として皆買っているけど、別にお買い得商品ではない。ブロッコリーが150何円で広告の品っていうのもなんだか危うい話。
この広告の品の値段のメカニズムの危うさは、人の食料品に対する価値観に根ざしている。
何を吸収するかっていうのは人にとって一番大事なものだけど、いまや何を吸収しているかっていうことが把握できない世の中。要は、自分で決めるしかないということ。
さておき。
なんだか今日は楽しかった。
何が楽しいだろうって思うと、自分が変化していること。他己評価を気にしなくなりつつある。なんだろう、毎日開き直り具合が拡がっている、で良いんだろうか。わざと狭めていた視界が拡がっているというか、実際よく分からないのだけど、相手がよく見えるようになってきた。
これは、この職場の空気に馴染めてきているっていう証左なのだけど、一員にはなって挙げないから開き直ってこうなっていうっていう意味もある。
人が人と疎通するとき。
普通は、自分にとってどうかっていう基礎がある。
僕はここが人が他人を把握する根本だと思っているのだけど、共通項がある人は居なかった。これから出てくるかも分らない。で、これを読んでいる人達にもあまり通じないだろうなって思っている。
ちゃんと日本語のつもりだし、難しい単語も使ってない。
で、なんだっけ。
論理記号でやってみるか。
人は自分のためになることしかしない。
人間関係には、ためになることと、ためにならならないことがある。
ならば、人はためになる人間関係しか構築しようとしない。
当たり前だけど、論理ってあたり前しかない。
これって、基本的に公的関係に適用されるもの。
では私的関係ではどうか。
私的関係だと、ためになるっていうことが引っくり返り気味になる。
違う?。
ためになるっていう観念も難しい。
基本的には、自分の都合が良いような人っていうのが人間関係になる。
ような気がするのだけど、どうだろう。
僕の場合のためになるは、面白いかどうかで、自分にとって有益かどうかは関係ない。
有益の定義は欲を何某かに物理的な欲を満たしてくれること、でいいのかな。
僕の欲は、物理的なところに還元されない。
肉欲はわずらわしいけど、こんなものを解消するにはいくらでもコンテンツがあるし。だかから、ここに「為」はない。
最後。
もう忘れた。
機会があればまた今度。
おしまい。