人の力
今日のアクセスが48とか、いったいどういうことなのだろう。
いつも5もないのに。予想したのは、いっぱい人数が来たっていうより、誰か特定の時間がある人が一気に読み返したのかなという説。これも別の日記に飛んだらアクセス数が増えるという前提ありきで。
さておき。
随分と悪い気に当てられた感。
人込みは大変だ。地場なのか磁場なのか、人の不可視のエネルギーなのか。
想像だけど、無目的な人が多い場だと気持ち悪くなる。多くても目的が決まっているならこんなにこない。例えば出勤とか。知らんけど。
ノイズであまり頭が回らない。
風邪ぶり返したかな。
調子が良いっていうのは外界への感度が鋭くなるということで、その分当てられやすい。
調子が良いっていう観念も人それぞれ。
まぁ良いや。
あまり梅田の駅の辺りで散策してはいけないということ。少し離れれば大丈夫だけど、中心の方は大変に淀んでいる。多分活動できる人は完全無欠の防具を装備しているのだろう。
日記的日記。
まずは、お昼ご飯を一緒に食べた。あまりうまくいかないのは、おそらく土地と波長が合っていない説。賑わっているところって結局何か努力しなくても勝手に人はやって来るっていう所がある。その分資金力は必要だけど、資金力とご飯の美味しさは別に相関しない。ちゃんと美味しいところは行列になっているみたいだけど、何か待つ時間って、人生から考えるとかなり価値を投資していることに気付いて居るのだろうか。
ちゃんと選択があるならそれで良い。
ともあれ。
もう少し面白い思考に行きたいところ。
当てられるっていうのは、閉塞感とセット。
人が密集している地点で唯一の利点は本の情報量が半端ないところ。
やはり大型書店の貫禄は凄い。でも、もう二度と行きたくない本屋も見つけた。本を手段に商売しているところは澱む。
そういえば、本を読むことについて。
本を読むことが趣味か義務にしかなりえない理由。
簡単に言うと、共通しているのはそのための時間を捻出しないといけないところ。
要は、集中というエネルギーを消費する必要がある。
映像の方が情報量は多いのは間違いないけど、映像の場合は受動で良い訳。
感じるだけでいいし言語化しなくても良い。
そうして、書評を書くことを目的として読んでいる人もいて、なんだか圧倒的な語彙っぽいけど、僕の解釈だと、こういう系列の人たちは本をあまり読んでいないような気がしている。
本を読む意味を何処に置くかっていう観念の話。
本を読めば語彙が増えるっていう大人の語彙は、社会で遣い慣らされている言葉しかないから言葉遣いのレベルでしかない。それだったら、そういう語彙集を作って演習させた方が早いし確実。
物理的に言ったら、眼球を動かす筋トレになるかなっていうのはある。
本を読むことで確実に得られるのはここ。自分を観測しても、やや縦書きの方が早く読める。眼球の運動がスムーズになるっていうことは、日常の世界が広がることに等しいのだけど、費用対効果では根拠にかけるかなと思う。
そろそろ潜っていこう。
今の時代であえて本を選ぶ一般的な意味。
何か体系的なまとまりを習得したいときに、ネット情報では信憑性ないなっていう文脈。
もう一つは文字情報でしか得られないものがあるという文脈。ここにフェチっている人はあまりいないとは思うけど、日本の人口の1%が何人かって分かる人もあまり居ない。僕もよく分からない。おそらく万人単位かという概算くらい。
もっと色々あるのだけど、どうしよう。
寝たい衝動と、まだ書きたい衝動。
ということで、日付変わるとアルコールが禁忌だからコーヒーにした。
コーヒーはカフェインがあって、カフェインは睡眠を阻害するっていうのが科学的な分析だけど、僕、これはまったく信じていない。なぜなら、経験則としてコーヒー飲んで目が覚めた経験なんてないし、カフェインよりもっと睡眠を阻害するものがある訳で。
こういう栄養素関係で、薬膳がおすすめって言われたから薬膳の前提となる東洋医学の入門書を買った。考え方がよく似ている。個人的には若干拙いかなって思わなくもないけど、要は、人の中にも四季も含めた自然があるという話。冷水を飲めば観測として上から冷えていく。みたいな自然のこと。
最後。
僕の文章は読み手にとって何の為にもならないと思っている。
むしろ既成概念を壊すことになるから、人を不安定する。時間つぶしで読むっていう意味ではぎりぎりの文量だから、そういう奇特な人も居るのかなって思わなくもない。あまりおすすめはしないけど。
おしまい。