硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

清濁

 

麻黄湯のおかげか、寝る間際に無理矢理消費したリンゴ1個のおかげか、濡れマスクか寝るとき巻いたマフラーか。風邪は快方に向かっている。まだ悪いものを出し切れていないみたいだから、鼻水はやたらと出るけど。特に不具合ということはない。

 

さておき。

 

もう少しタイピング早くならないかと思って調べてみたのだけど、このボタンの配置って、もともとは早く押せないようにするためらしい。あまり早く押しすぎると処理落ちするからそれを防ぐためだとか。なかなか面白い。今更配置変えても早くなるわけではないだろうけど。このpcでもワードは大丈夫だけど、はてなで書くとラグがあって気持ち悪いし。これはパワー不足だからだけど。

 

使い物にはなってきたけど、なんにせよ、力を抜かないと上手くいかない。手書きの文字でも言える。

 

物事の起こりというか始まり。

 

東洋医学はなんとなく分かる。シャーマンとか風水とかが化学と組み合わさってできたのだろうなという感じで。では、西洋医学はどうか。

 

思考とは、正解を得るためではなくて、実証できないところで自分が納得できるような結論をひねり出すこととは、森博嗣さんも良く言ったものだ。僕は常態がだから、ふんふんとブログを読んでいたけど、正解信仰がある人はどうだろう。

 

ってところで思考すると、西洋医学の起こりは戦争だろうなって思った。薬もおそらく化学兵器の実験のおさがりがもともとだろうし、人の体を切るっていう発想も人体実験が起こりなような気がしないでもない。キリスト教圏は別に人体は不可侵じゃなかったっけ。いや、堕胎が駄目だっていうなら不可侵なはず。有事では別のルールが働くのか。

 

あらゆるルールは争いによって発展してきた。だって、穏やかな所にはルールは要らないもの。法律だって経済だって、社会科学にカテゴライズされるものは然り。人は誰かよりもマシでありたいし、生き残りたいもの。

 

別にルール自体は無価値なものだから、在ること自体は構わない。

他のことに傾注できるってことだし。ただ、、、まぁいいか。個人的はそろそろ何か変革が

起こる気がしているけど。

 

例えば、軍隊が云々みたいな議論で日本は盛り上がっているけど、そもそも軍隊置いていない国は世界を見渡せばいくつかはある訳で、何か前提がズレているような。植民地みたいなことがまた起こるって思うなら正しいのだろうけど、どこかを侵略したら国益になるっていう時代なのだろうか。

 

まぁいいや。

拡散してきたから絞る。

 

一種のルールだけど、意識されないのが関係性のレッテル。

家族関係が典型だと思っているのだけど、あまりおおっぴらには言わない。というのも、僕は家族親族に対して、家族じゃなかったら縁がなかった人達だろうなって思っているから。

 

情がないかって言われたらあるけども、それは家族だからっていうレッテルというよりも、長く近く接する関係だったから、情が沸いているだけ。

 

友人は大学時代の関りを大事にしているけど、これもきっと同じ場を過ごしたことっていうことが前提にある。友人は好きだけど、レッテル剥いだらどうだろうっていうのは気になるところ。たまたま仲間内に入っているけど、外への接し方はあまり好きではないし、自分が外になったとしたらきっと関わってはいない。

 

まぁ、少しでも関わったり接したりしたこと自体が縁ではある。

世界人口は数十億人で、日本でも1億何千万だし、一言すら交わせる人は限られているし。

 

レッテルを剥いでいって、それでも関わってみたい人が本当の関係性だと思うのだけど、よく分からなくなってきた。レッテルがないと見られないその人みたいなところもあるし。

 

人はラベリングしないと他人のことは把握できない説。

 

 

おしまい。