ループループ
スナップエンドウおいしい。これも人に教えられた食材。レタスとゆで卵とサラダにした。グアテマラ産なんて表示初めて見たけど。あとは、豚肉と白菜としめじと味噌の煮物。なんとも手抜きだけど、なんとも美味しい。
連休1日目、だいたいぐだぐだしていたけれど、少しは活動した。明日から一泊旅行だからクリーニングに出したスーツの回収と服をちょろっと買いに行ってきた。服屋の店員さん苦手なはずなのに、別になんとも感じず普通に会話していた。変な感じ。スキニーの上位互換みたいなのを購入。だいぶ筋肉着いたと思ったけど鏡越しだとそんなことはなかった。
ふと思ったけど、服飾業界ってバーチャルが発展したら真っ先に売り手に人間が居なくなる業界かもなと。自分の寸法を3Dでスキャンしたら着せ替え放題になる。直に肉体を着飾ることができるっていう観念もそろそろ危ういような。機械で大量生産がほとんどだから、非言語的な部分もあまりないし。
アバターの着せ替えとかsnowとかでも明らか。
料理の味もおそらくそのうちデジタル変換できることになる。どの成分がどの味覚を刺激するかっていうのはほとんど分析されているだろうから、マロニーみたいなでんぷん質で食感をコントロールすれば。完全にバーチャルで表現するにはまだ複雑だとは思うけど。
あと、人の手を経たっていう非言語はきっと表現できない。
ずっと残るのは非言語がある職業。
マッサージとか介護とか、人に触れなきゃならないものは案外残りそうな気がする。
文章はどうだろう。
という雑感。
さておき。
昨日の日記はどこまで書いただろうって思って読み返したら完全に力尽きていた。
良いっちゃ良いのだけど、あまり伝わってなさそう。別に伝えるところも主眼に置いていないけど。
ともあれ。
まぁこの辺りは言語化が難しい部分だからしょうがないのだろうけど。
誰とも繋がらないっていうフレーズは、だいたい正しいけど完全な正確ではない。
遅刻を回避した話にあったように、僕は、自分の指針にしか従えない。
結果的に一般論に一致しているのかもしれないけど、そんな部分でさえちゃんと自分の中で腑に落ちるような説明をつけなきゃならない。マジックワードとかパワーワードでは自分を規定できないから。
書きそびれたのだけど、昨日スーパーに寄ったときに、レジで前に会計をしていたお母さんと男の子が居た。店員さんが棒状のお菓子を通すのを忘れて処理済みのカゴに積んだのが見えて、思わず声をかけていた。どの時系列の自分でも言えたのかっていうのは定かではないけど、自分の思った通りに言動するってこういうところだろうなと実感した。
自分のためではない優しさと、利害関係がないところから返ってくる感謝。
対価があるところでは親切にするのが当たり前だろうっていう穿った視点から来ているのだけど、あながち間違ってはいないと思っている。だいたいの好意も親切も当人の居場所を守るためにある。
人の器を見る一番の指標は、目下の人にどう接しているかっていう所を見ることだと思う。
上から目線でしかないとすれば、その人との関係性は一生変わらない。だから家族関係って面白くない。
法学者の叙述を見ていても、同じ情報を語っていたとしても文章の老若がある。
ある民法学者さんを試験の講評の文章読んで一目惚れした。成績が低い層に対して、これは鍛えがいがあるって評価していたところ。研究者としての面と教育者の面を使い分けているのだろうなって。
最後。
僕がこれから何をしたいのかっていうのは正味迷走中なのだけど、本質としては読み手でありたいっていうところがある。
ある人にあなたは読む人だって言われたことがあって、当時は良く分からなかったのだけど、今ならちょっと分かる。
読むっていう単語にはたくさんの意味が含まれている。
なぞる、先を把握する、文字を追うとか。
真骨頂は読書だろう。
本の話は盛り上がると大変だから少なめに。僕は本をやたらと読むし、一応対外的には趣味だって言っているけど、厳密には趣味ではない。
もう1つの現実。
なんでかっていうと、本だって人を選ぶ訳。
自分に合うものしか読まない(これが趣味)なら分からないだろうけど、自分がこんなことが読めるようになったっていうのは、こっちの現実で積んできたからだろうって。
これは割と対人でも適用している気がしないでもないけど、定かではない。
読むの本質は、観測者でも傍観者でもなく当事者でもないところ。
次の日記は月曜か火曜の夜。