硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

人間「関係」前

やたらとお腹が空く。メインの料理もなんだか塩辛い。もう少し薄味でよかった。だいぶ肉的に疲れている模様。切り替えが上手くいっていない。

 

まぁ本当の敵は誰なのかっていうのは炙り出されつつある。

 

仕事は毎日自分の神経を使い切っている。通常状態だったら聞き逃さないこととか間違えないだろうっていうことで、なかなかひどいことをした。まぁでも結局現実化したものが自分そのものなのだから、これはこれはで良い。一度間違ったことを次に間違えないっていう方向にいけば。

 

間に挟むもの。

 

そういえば、社会学の入門書二週目に入ったのだけど、社会学とは何を研究するものなのかとは、人間「関係」ということらしい。人間は社会の中で誰かと繋がらないと存在できないから、人間が先か人間関係が先かっていうのは鶏と卵の話に近いとか。

 

僕の解釈とは微妙にズレているけど、概ね面白い考え方。まぁ学問って俯瞰だから、個人が思うところとは一致しないだろう。

 

ってところからすると、人間関係には色々と階層があるのだろうなと。

で、考えていくと、関係を保つために理想的なのは、他人を自分と隔絶することだろうなと。 関係とは繋がりだっていう観念とは矛盾するけど、外界を観察していると、良好な関係っていうのは影響し合わない方が多い。

共依存っていう言葉というか疾患というか症状がある。これの方が関係性としては重いし繋がっていると思う。でも、どうやらこれでは上手くいかないらしいということが歴史的に分かってきたのだろう。

 

だから関係をルールとして作ったのが婚姻とか親族の制度なのだろうと。 面白い考え方だなと思ったのが、こういう跡継ぎを決めるところに、家族みたいなものをもってきたのは、短いスパンだと他人が適しているのか分からないけど、家族だったら一緒に生活しているし付き合いも永いから分かりやすいっていうやつ。

 

 

僕は人間関係を、人と人の間にしかないものだと捉えている。つまり、認識もコントロールもできないものであって、人と人が接した結果に生じた不可視なもの。もっと言うと、自分が少し言動を変えたくらいで動くようなものは人間関係ではなくて、当人の中での世界の範疇だと思う。

 

詰まるところ、関係っていうのは、自分に確固たる壁がないと保てないということ。 関係っていう観念は、他者と交じってはいけない。最上級が共感程度。

 

っていう観念という面から、現実的なエネルギー消費の話。 これも他人様の日記の観念から流用で、今日現実的に思ったこと。 まともな人間関係を構築している人からすれば、それすらにエネルギーを費やすのかってことが分からない。これは仕事に引き直すと、こんなこともできないのかっていう観念に近い。

 

人間関係のエネルギー消費って一番はなんぞやっていうと時間。例えばメールとかLINEのやり取りをする人生においては一瞬くらいの時間も、当人の時間を消費することになる。 ここで思うことは、人が自由にできる時間って一日の8分の一あれば良いくらいのものじゃなかろうかって。

 

これだけじゃ留まらないのが、精神エネルギーの消費。

 

ということで、時間切れだからまた明日。 おしまい。