硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

世界はどう見える?

鶏むね肉で肉豆腐と、もやしとブロッコリーコチュジャンと豆板醤のナムルと卵焼き。オクラを昨日買ったのだけど、全然出番がない。明日こそはなんとか使おう。肉巻きかナムルか煮浸しか。

 

さておき。

 

なかなかひどい夢を見て、目覚ましかけた時間より2時間早く目が覚めた。

夢の内容はなかなかグロテスクだし、もっというとエログロ。場面は実家の隣にあった祖父母。最近は実家がよく出てくるような気がするけど、場所になにかあるのだろうか。もう誰も居ないのだけど。お婆ちゃんは施設に入っているはず。

 

描写するのもあれなのだけど、まぁ良いか。

まずは外でトイレしようと玄関から出て、していたら本来出るところからだけじゃなくて、一番太い静脈に穴があいて逆流するという。玄関(鍵なんてものはついてない引き戸)出てすぐ庭というか通路を挟んで樹齢何年か分からない紅葉の木がある。登れるし座れるしブランコもあった。その隣には蔵がある。というような木から変な音が聞こえてきて、見たらビニール袋に二重に包まれた子猫が居た。一重目だけしか開いてないから中身ははっきり見ていないのだけど、私は鼻もなくなった、目もなくなった、みたいな音声が脳内に聞こえてくるという。

 

まぁ、夢は無意識の処理だから、別に特に何も示唆していていないと思う。前半の何の需要もないエログロみたいなところは良く分からないけど、後半の変な音っていうは最近YouTubeで聞いた南極の氷の中から聞こえてくる音だろうし、その先は昨日読み終わった本で拷問の描写が出てきたからだと思う。割とイメージが残る質だから、そうなるだけ。未だに、USJの絶叫マシンの浮遊感再現できるし。かれこれ10年以上前。

 

ともあれ。

昨日の自己分析の話は、書いてしまったらなんだかすっきりしてしまった。

相手は何も悪くないじゃないかと自分で納得した。要は自分が弱かっただけ。感度とかそういうレベルでもない。その後電話がかかってきていた。寝てて取れなかったけど、多分苦情の申立だろうなって思っている。

 

 

 

 

やれやれ。

 

これを書く前に想像力がない人についてっていうしょうもない記事を読んでしまった。

何やら本を何千冊も読んだ知見に基づいて書いているっていう触れ込みだけど、本を読まなくても分かるような気がしないでもない。想像力を働かすって本当に言うのであれば、想像力がないとされる人がなんでそこまでしか世界がないのかっていうところまで想像力を働かせるような叙述があるべきではって思った。想像力がない人が一方的な観念しか持っていないっていうのと同次元の話しかしてない。自分のほうが広いって優越感を語りたいだけなのかなって。このままだと、想像力って言うより、もともと持っている要素が違うだけっていうことに帰結する。選民思想じゃないかって。自分の認識から外れた人を非人間

として排除するなら、それは想像力の節約みたいなこと。

 

 

ということで、解釈の話。

 

解釈って分かりにくいから、認識で良いか。僕は他人に自分のことを誤解されているって感じる観念はない。それは、相手に認識されている自分と、自分が認識している自分は絶対に合致することはないから。ここには別に科学的な証拠とかもないし経験則でもないのだけど、おそらくそういうことになっているのだろうなっていうこと。理みたいな次元。こういう自己観と他己観をすり合わせるのは、自分が認識した自分と同じように他人に認識されたいっていうことなのだろうけど、人って基本的に像は装えるから、虚像を相手にそれ通りに認識してほしいっていうことなのかも。

 

この辺りはなんだか捻れて寄り集まって解きほぐせなくなる。という感じで僕は自分のことを分析することと同じくらい他人のことも分析する。多分一般的な用法で言う分析は何か有意な結論を出すこともニュアンスとして含んでいるのだろうけど、僕の用法だと、ただ単に観察してみるみたいな意味合いでしかない。

 

で、別に分析したものを相手と答え合わせしようとはならない。自分からどう見るかの鏡合わせのことで、相手の自己像が僕の認識した相手像と一致することはないから。結局相手の自己像は自分の世界では存在できないということ。たまたま一致することはあるだろうし、無理やり一致させようと思えばどんどん抽象化して類型化してしまえば良い。

 

 

解釈っていうのは、ある事実に対して色んな捉え方がある中で、どういう道筋があるかっていうのを考えることだとしている。僕は折りに触れて過去の出来事に対して解釈を試みている。たとえば前の恋人さんが浮気した事実に対してどう説明がつくのだろうとか。ここに一派論を適用したってしょうがない訳だし、別に過去に囚われている訳でもない。イメージが残る質というのを参照。

 

 

なかなか潜ってきた。

 

 

自己像と他己像が絶対に一致しないっていうのは悲観的に見えるけど、考えようによっては反対になる。自己像より他己像が小さいと思うなら、そんな他己像はぶち壊せるということ。相手に認識されている像から外れた事実を観測させれば良い。

 

 

まぁいいや、時間切れ。

 

 

おしまい。