硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

負荷価値

 

今日の朝ごはんは二人でサンドイッチ。

アボカドとエビカツを一個ずつ。美味しいサンドイッチは優しい。お弁当のレパトリーに加えようかな。パンを食べる習慣はないけれど、トースターがもったいない。

 

 

昼はレトルトカレー

辛口にしたけど、全然辛くなかった。今度は大辛というのを試してみよう。

 

夜はキャベツの千切りときゅうりと納豆のサラダと酢鶏ともやしとピーマンのナムル。実家から野菜が届いたから食材はやたらとある。大根とピーマンと人参となすと梨。常備菜も作らないと間に合わない。梨も3個あるから何か加工しないと腐ってしまう。

 

 

昨日は呑みで串カツ。

食べ物はちゃんと美味しく感じるのだけど、外かだから何なのだもう良いだろうって俯瞰している自分が居る。定期的にやってくる底の方の精神バイオリズム。

 

荒むと自分が外界に与える悪影響ばかりが見える。

自分が居なかった方が良い人の方が多いはずって。まず自分の世界を守るのが先決だっていうのは理屈としては分かるけど、何をもって自分を守っていると言えるのかが分からない。

 

 

ともあれ。

呑みの話。

 

大学時代の知人が4人集まった。人間関係として残っている意味は、それぞれ他人に興味がないというところにある。興味がないっていうのは悪い意味ではない。要は、自分のものさしが他人にとっても正しいと思っていないこと。一般論も自分のものさしでコピペできないから何かを語るときは自分のものさしを使うしかない。

 

みんながみんなを変わらないと評していたけれど、僕の視点では変わったなという気がした。深いことが話しやすくなった。昔とは全然違うのを誰も気づいていない。もしかしたら僕の視点が追いついたというだけかもしれないけど。

 

あとは、酒に弱くなったと評されたのだけど、ある意味正しい。昔強いように見えていたのは、他人への防壁が厚かったから。精神状態と酔いは相関しているから、警戒というか緊張する相手と飲んでもあまり開放されない。どうでも良くなったというだけ。どんどん評価を下げてくれれば良い。

 

んで、久々に会った旧友と人格が変わってないなと思う現象は、その部分しか出していないからだと思っている。その方が共有しやすし、相手が変わった部分があったとしてもスルーして、昔と重なっている部分しか見ないから結論としてそうなるだけ。人は人をざっくりとしか捉えられない。

 

変わらない部分の方が当人にとって馴染みがあるというのもある。

 

 

ストレス過多なのかというと確かにそういう傾向もあるけど、どうなのだろう。

外界からのストレスなんてなんとでもなるような気がする。問題は、自分が自分であることに対するストレスだけど、退場するまでそうなのだから考えてもしょうがない。円形脱毛症にもなっていないから、考え過ぎということでもないだろうし。

 

私のことあまり好きじゃないでしょうって聞かれたけど、答えられなかった。

言葉でオウム返しすることは簡単だけど、好きっていう観念はどういうものなのかっていうのが分からなくなってきている。

 

奉仕することなのか、時間を回せることなのか、一緒に居ると楽なのか。

自分の立ち位置は確保した上で、親しく過ごすことっていうのが最大公約数っぽいけど、僕には前提が欠けている。

 

 

寝よう。

寝るのは一番手っ取り早い退場方法。

 

おやすみなさい。