硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

抑圧という名の解放

 

満月は地球上何処からみても満月だっていうことを聞いて、天文学よく分からないなと思って調べたら、中学生の理科の話だった。新月も半月も三日月も分かるのだけど、満月になると、地球の影に隠れるのではないかって思ったりもしたけれど、二次元軸でしか見てなかったのだろうなって。満月になる時って太陽、地球、月っていう位置関係になっているのだけど、別に平面上な訳でもないだろうと。満月以外の部分は平面で考えても大丈夫なのだけど、認識の死角があった。

 

という前置き。

 

ご飯の話はもう良いか。

白菜の浅漬けで塩昆布と豆板醤の組み合わせが美味しいっていう発見があったくらい。あとは、弁当のご飯が固くなるのはどうしたものかなって思っていたけど、これは朝炊きあがるように予約すれば良いじゃんってことになった。夜ご飯でも米を食べていた流れだったのだけど、今は夜食べてないし。これも認識の死角。というか惰性。朝の作業量は増えるけれど、あまり変わりはない。

 

 

仕事に関しては、よく分からない。

できると認定されたことより、新しいことの方が圧倒的に多い。新しさを感じる比率が低くなったら慣れたって認定するなら、それはなんだかおかしいような気もする。常に普通にやっていたらいけないっていう強迫観念がある。普通にやるっていうっていうのは僕の中では背景は分からずともなんだかんだ上手く行くみたいなこと。

 

まぁ良いや。

本日の夢は、半分は現実で、半分は夢だった。

現実の方はおそらく迷惑だろうなと思う。そんなこといちいち言葉にするなよ、かもしれないし、そんなこと言われてもみたいな。もう半分はその流れで交信している夢。疎通と交信はもちろん違う。

 

他人との接点って色々誤差がある。

まずは、交信すらしていない段階。普通のことだけど、案外これが至上の関係なのかもしれないと思う。相互に独立しているから。自分の範疇でしか他人が見えないっていうのは、確実に安定した精神だといえるし。次元が低いようで高いのかもなと。

 

次。この人は自分の言っていることを聞いてくれるっていうのが受容。

聞いてくれるっていうのが相互じゃなかったらちょっと依存になる。

なんだっけ。依存が良くないのは自分じゃないものを自分の基軸にしているっていうところにあるのだと思う。物質か人物かはあまり関係ない。

素朴に考えると、全然不健全でもない気がしている。

 

疎通は自分がどうとか相手がどうとかというよりその中間にしかないもの。

ある意味独立した相互だけど、お互いが自分から離れた仮想空間に共有の場を持たせるイメージ。通常は起こらないけど、ときどき在る。

 

交信はもっと離れていて、地球と月とかもっと離れた星と時々メッセージが繋がるみたいなこと。時間が隔たるのが当たり前というやつ。

 

まぁこんな僕の勝手なイメージだから誰の参考にもならないはず。

 

 

という感じで潜る。

 

自分はちゃんと進んでいるのだろうかという話。

進むっていう概念は何か目的地がないと存在しないものだから厳密に言えば、ちゃんと変化しているのだろうかっていうところ。

 

1年半くらい前にある人にこのままでは精神的に潰れるよって言われたことがあった。

思考を稼働し過ぎみたいな意味で。このままでは張り詰めた風船みたいに破裂するよって。

それを防ぐためには、息抜きみたいなことが必要だ、みたいな。

 

ある意味呪いの言霊だと捉えている。

 

とは別に、今の自分と過去の自分とを比べて何か変化があっただろうかって。

老化を変化と捉えることも1つだと思うけど、個人の変化じゃなくて人の生物としての当たり前の推移だから、なんだかおかしいような気がする。

 

受動的な変化と能動的な変化は違う。

 

昔の自分よりは世の中を知ったっていう認識もあるし、若い頃は某みたいな評価をする、みたいなこともある。けども、個人的にはこういう意味では全然変わっていない。

僕が最初にした社会的場での粗相って、3歳だか4歳のときの叔父さんの結婚式の時に料理のお皿を舐めたこと。

 

これ自体はもうしない。って具体的に考えれば変化かもしれないけど、知らないことで不手際をするって抽象化すれば、何も変わっていない。

 

 

そうして、生きるために生きがい必要なのかとか、アルコール依存になる精神傾向とかを調べたりする。

 

個人的な見解だけど、生きがいみたいな目標に向かわなくても生きて良いんだよで良いと思う。ポジティブじゃなくても活動はできるしそれで良い。何か後ろ盾が必要だっていうものさしが、やる気とか元気とかの精神論だけど、僕はそのものさしで捉えられたら全然活動できない。そういうポジティブな精神は持ち合わせてないから、そんなものがなくても動くように調整したのに、そういうものが必要だって言われたらブレーキにしかならない。

 

アルコールに逃げる人は、精神的に抑圧されてきた傾向にあるらしい。

僕も抑圧されてきたのは確かだけど、蓋が空いている気は全然しない。

 

そんなことより、僕の問題は、誰かと生活を持続するっていう精神を持ち合わせていないことだと思う。そもそも論。素朴な感覚として誰かと繋がって一生生活を共にすることに魅力を感じない。もちろんそういう感覚もなきしもあらずだけど、一番は、まぁ良いか。

 

 

よし、強制シャットダウン。

 

おしまい。