硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

主観的世界論

職場に定期的に納豆の配達が届く。どこの物だろうとか誰が買っているのだろうって思っていたのだけど今日判明した。どうやら女性陣が買っているらしい。そうして何人かから勧誘を受けた。卸売価格で買える模様。納豆は食べるかって聞かれてだいたい毎日食べていますって言ったらそのサイトをメールで送ってくれるみたい。明日出勤するのが楽しみだ。

という瞬間に、打ち解けてきたかなぁという感覚。
ちょうど今日一ヶ月経ったけどどうだ、みたいな面談というか聞き取りみたいなことがあって、なんとなくは慣れてきましたみたいなことを話していた。仕事にも波があるとか、先生とのやりとりとか、一番は本当に苦手な電話対応がなんとかなっていたところ。
定型文自体も語彙ないのに定型文でしかやりくりしようとしてなかった所が崩れても大丈夫なのだなっていうところ。声にも元気がある。気持ちがこもっている体の声の出し方。

これは職場の人達に対しても同じことで、みんな余裕を持たせて仕事をしているっていうのが分かってきたから、ある程度は質問することに遠慮しなくても良いのだろうなっていう空気が読めてきた。聞き取りの時にあの人のこと怖くないかって言われた人に関しては、怖くはないけど、あんまり読めないなという感じはある。怖いっていうのが何を指すのかっていうのも難しいところだけど、萎縮しないかっていう意味なら全員に萎縮しているし。まぁ、視野が広がりつつあるし、無駄な消費もなくなっているのも確か。

あとは、自分のミスに対してまぁいいかと思えてきたところ。
次どうしたら良いかという方に向きつつある。評価を一瞬で決めないのはみんな長いこと勤めているからだろうなと。

かといって、コミュ力が向上しているのかって言われたらそんなことはない。
仕事での疎通って限定された世界のだけのものだから、単に語彙を習得してきつつあるというだけ。語彙っていうのは言葉だけじゃなくて振る舞いとか非言語も含む。


さておき。

明日はなんだかんだ給料日。やっとここまできたみたいな感覚もないし、ぱーっと何かするみたいなものもない。飲みにいくのも別にめぼしい相手もいないし、自分が本当に興味持っている相手じゃないと悪酔いするし。一番お金がかかる読書欲も図書館が満たしてくれるから、特には買わないと思う。だいたいは今家にある本で大丈夫な感じ。あとは諸々必需品の予定はあるけどこれは浪費にはならないだろう。物欲もないし、無駄な付き合いも携帯が潰れたおかげでほぼないし。

あえて欲求を掘り起こすなら、自然に包まれたい。自然公園みたいな人工的なものではなくて、天然の自然。近場では熊野古道かなと思うのだけど、別に世界遺産ではなくても良い。

 

ともあれ。

本の話というか概念の話というか。

昨日の日記はすごく気持ち悪いこと書いたから編集しなければって今朝気づいて午前中そわそわしていたのだけど、昼休憩の時に改めて読んだら、このままで良いかなと思った。もっと言ったらどっちでも良いかと。

ここでバークリさんが出てくる。
この人は、世界は客観的なものではなくて、主観的に捉えた観念でしかないっていう主張をしている。あまり有名になっていないのは、おそらく一般の常識から離れ過ぎているからって思うのだけど、真相は知らない。

でも、客観的な物質とか現象に対して、それは当たり前の現実だって捉えること自体が主観的なのだろうなとは思う。物質に関しては人では分子とか原子まで捉えられないけど触れるとか見えるとかの五官に依存したものを客観的としているけど、それはその人の五官によるわけで。一番分かりやすいのが視力。現象に関しても、仕組みとかはどうでも良くてとりあえず自分が認識したものを現実としている。


僕が持っている観念の現象としては同じっていうフレーズに関しては、シンクロニシティの本が答えてくれた。詳細は後日。

最後。

僕はこういう対話ができる人が居たら良いなって思うのだけど、そういう人が現れたとしてその人に惹かれるかというとそうでもないだろうなって。この興味の感覚は結局自分の為のものでしかない。

とりあえずおしまい。