硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

脳の分担

鶏胸肉のからあげ、だし巻き卵、もやしと切り干し大根とエリンギの塩昆布和え。弁当に詰めたらやたらと色合いが悪い。ブロッコリーが多少安かったけど見るからに明らかに悪くなって茎の部分切ったやつだったから買わなかった。120円くらいで新鮮なら買っても良いかなという感じ。コスパとして。好きだけど。そうして、塩昆布は久々に買って、ふじっこの業務用のやつにした。単価だけじゃなくて、単価と数量で測れるっていのはなんというか生活ちっくな気がする。

 

さておき。

 

今日は変な夢を見た。あまりよろしくない方向で。

シーンは父方の親戚の集まりの席で、なにやら僕がおじさんに対してというか場の礼儀に反した行為をやったらしくおじさんに謝れみたいな空気になって謝ったら、ビールをひっかけられたという夢。BGMで女性陣が自分らは何も言えないし、みたいなことをぶつぶつ言っているという。

 

別にこのおじさんに嫌なイメージは持っていない。顔は濃いけど、特に何か語らったことも怒られたこともない。多分、社会儀礼みたいなところに対する閉塞感が発現したのだろうなと思っている。

 

僕の個人的な見解だけど、外付けの礼儀みたいなことが要るという関係は私的な関係ではない。親しき仲にも礼儀ありっていう言葉はあるけど、たぶんこれが対象にしているのは公的で親しくなった関係を指しているのだろうと思う。かといって私的な関係で何の配慮も要らないのかっていう訳でもない。でも、ここに必要なのは礼儀という外付けのものではなくて、単にその関係で生まれた共通ルールみたいな意味合いでしかない。このときに一般的にはどうなのかって思うようなら、関係を離した方が良いかも。

 

 

仕事の話を少し。

といっても語ることはあまりない。ペースがなんとなく掴めてきたかなというだけ。あまり疲れなくはなってきた。これは仕事がどうのっていうより自分が安定してきたからという向きもあるけど、原因を追求することにあまり意味はない。

 

と、余裕ができてくると先輩達を観察できてくるのだけど、元気が云々とか一番言ってくれる人は外付けメンタルなのだろうなと思った。筋肉のためには空腹状態はない方が良いとか会話しているのが耳に入ってきたし、虫に弱いとか神経質な所があるから、もともとは繊細で内向的な人なのだろうと今のところ解釈している。たぶん同類と見て気にかけてくれているのだろうって。

 

そう、外付けメンタルの人は他人にも外付けするのが良いって言いがち。別に外付け自体が悪いとは言わない。むしろそれを身につけるために費やした努力を想像すると、凄いなと思う。この人の場合は筋肉を付けるために相当日常節制しているのだと思われる。

 

ただ、僕の場合のメンタルは誰からどうのとかっていうことでも、達成感でもないし、社会的な評価でもない。自分基準で動けることがメンタルの回復になるというだけ。仮に僕が筋肉付けたとしても前向きになることはない。

 

でも現象としては同じっていうことはあるかもしれない。

結果的に同じだったらあとはどう解釈するかという話。同類項に見るかどうかとか。

 

 

やれやれ。

 

個人的に捗っているのが、法律は哲学として読んだ方が分かりやすいなというところ。

読んでいる小説に大事なことほど法律になっていないっていうフレーズが出てきたけど、そういうこと。そういうものって決まっている情報を再現できるように食べるのはしどいけど、今のルールはこうだっていう俯瞰的に見ると楽。そろそろ違いに気づいて欲しい。

 

最後。

 

予感と想像の話。

 

想像が現実に起こらないのは、想像っていう概念自体が非現実に含まれているから。

良い意味でも悪い意味でもイロがつく。

 

例えば僕は勝手に文章で対話していると想像しているし、相手が居なければ僕なぞいかがかってその先の対面を想像しているけど、現実的なハードルを考えるとそんなことは起こらないだろうっていうおさまりがある。毎日読む程暇ではなかろうし。

 

想像と考えるっていう観念も厳密には違うと思うのだけど、そうやってすり合わせる相手もいない。想像では頭の回転数は上がらないけど、言語化すると違う脳の領域が活動する。それが小説だろうな、みたいな。

 

予感はもっと別。

経験の外のことが現実化するかもなっていう非言語のところ。

ちょうどよいフレーズとしては、虫の知らせっていうのがある。

 

なんだかひらめきと直感の違いみたいだけど、想像はご都合主義で、予感はわくわく感みたいなこと。

 

おしまい。