ろくでもない
今日のメインは生姜焼き。
下味つけてから2時間程本を読んで、そのあと卵焼き作ってお風呂をためながらご飯を炊きつつ、しめじと小松菜茹でて胡麻和えの準備しながら玉ねぎと人参切って一緒に炒める。ほんとはひじきを買ってくる予定だったのだけど、忘れて胡麻和えになった。食事だけはやたらと充実している。今日の晩ごはんの野菜、昨日の残りも含めると、トマト、もやし、ピーマン、人参、大豆(納豆)、小松菜、えのき、たまねぎの8種か。全部単価は安い。
何を目指しているか分からない。主夫になった方が良いのかも。今栄養学的に興味あるのは、疲労回復と抗酸化。硫化アリルが疲労回復には良いらしい。生の玉ねぎの辛味成分。あとは
ニラとからっきょうにも入っている。抗酸化は栄養バランスっぽい。抗酸化の方は、活性酸素の発生源が食事外のストレスやらなんやらで多いみたいだからなんとも。
僕の場合は無目的で調べている。たまたま興味がそそっているだけ。
でも、何か目的をもって食を改善しようと思う人がほとんどなはずだけど、なんにせよ、食だけではなんともならない。ダイエットにしろ太るにしろ健康になるにしろなんにしろ。いい方向には向かうかもしれないけど、トータルでそれより悪いものがあるなら効果は出ないと思う。僕の目的があるとすれば、偏らない範囲で美味しく食生活をするというくらいなもの。納豆だって健康に良いとされているけど、プリン体が多いのだから痛風気味の人が毎食だと危ないわけで。何かさえ採っておけば良いっていうことがないのが面白い。
さておき。
仕事はちょっとやらかした。
尻拭いできる範囲だし大したことはないのだけど、なかなか打たれ弱くなっているなぁという印象。自分の能力値がもっと低かったらとっくに退場しているくらいの紙の鎧しか装備していない。でも、別に完璧主義でもないし、自分の領分の外にあることまでを強いることはしていない。今日のことは明らかに優先順位を間違っていて、できないことではなかったから自戒している。指摘した相手がどういう風に言ったかっていうことはあまり関係ない。相手は人間なのだから一定の基準を示してくれることはないけど、作法には最低限守るべき基準があってそこを見ている。
まぁ仕事において一番むずかしい習得事項だと思うけど。事後的に訓戒を述べることは簡単だけど、事前に不文律を教えるってこともよほど後輩に傾注していないと無理だろうってこともわかる。自分が当たり前に慣れていることをできないことが滑稽に見えるっていうのはよくあること。子供の頃のことなんて忘れているだろうっていうのと同じ。
そうして。
ものさしの話の本題、でもないけど。
僕は色々とおかしいのだと思う。優先順位とか知識の取扱いとかそもそも論で。
そもそも人がものさしを構築するのって自分を確立するためであろうはず。
つまり、主観的な基準を作ることでその準則に従う人格を自分とする、みたいな。
自己観っていう概念も個人的には怪しいと思っているのだけど、あまり皆気にしていない模様。習慣なんてやろうと思えばすぐ変えられるけど、そこに価値を見出していないだけ。優先順位のところにもかかっているけど。
最も現実に関わっているところは、知識の扱いだと思う。
知識を得る動機って、対ヒトにマウントを取るか対価になるかがほとんどだと思う。純粋な趣味っていうのもあるだろうけど、これは結果として知識を得ているだけ。
もう少しいうと、対価以外のところは人間関係が前提になっている。
知識を得れば誰かに話して共有したくなるし、趣味だって同じものが好きな人と共有したくなるし。
僕はそういう欲求が全然ない。
共有とか共感の先の思考とか非言語の部分には興味はあるけど、そこには共通項はないし、仲間意識も生じない。
そうこうして、最終的にはまともな関係って相互に影響させ合うことだろうなと思って、僕には無理だなと暫定的に結論づけている。
おしまい。