硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

輪郭

寝る前には、人間関係は糸電話みたいだなと考えていた。どういう意味かは定かではなないけど、糸電話は振動が流れて相手に届くというところと、繋がりはなかなか儚いものだよなぁとか。どの瞬間でも人は亡くなる可能性がある訳で、両方が糸を張っていないと糸電話の振動は相手に届くことがない。だからとてどうするかは別の話。

 

 

さておき。

 

仕事は、慣れてきてはいない。データにフィルターをかけて目的に合わせて使いやすいように拾い出すサービスがあるのだけど、それに特化した人を育成しようとしているって言われた。直接僕を育てるとは言っていないけど、何か見出された感はある。まだ一般的な応対もままならないのに、と思ったけど、穿って考えると、まともな応対には先はなく、まだこういう方面では見込みがあるということかもしれない、とか。まぁどっちでも良いけど。どちらも欲しいものだし。

 

発話スキルって、中の人がどうあれ感じ良く捉えられるようにするもの。クッション言葉とか復唱とか。そんなことを考えていたら、なんとなくサイコパスを隠すこともできそうだに飛躍して、サイコパスとはなんぞやってとこに至る。

 

サイコパスって標準の人が倫理感のブレーキを踏んで止めるところで、合理とかいうか利己でアクセルを踏む脳構造がある人っていうイメージなのだけど、合っているかしら。でも、倫理観って時代とか社会によりけりだから、それを取り去ってみると何が違うのだろうと。僕は割と倫理観は欠如していて、たまたま傾向が利他寄りだから特に何事もないけれど、やっぱり何かおかしい気はする。まぁ、合理的に自分の利益を追求するのは自我を持った人間の本質である訳で、これがなければ人間社会の発展も存続もなかったのではとも考える。誰かを大切にできるのも自分の存在が継続していかなければなしえないものだし。綺麗ごとも嫌いではないけど、言葉は未来や世界に対して自在だからなんとでも言える訳で。言葉でやたらと倫理観を示す人は、僕から見ればサイコパスみがある。

 

 

合理性でいうと、日本人はもともと合理的にできていないっていう記事を見かけた。日本人は特別だっていう主張にはだいたい日本人は優れているっていうニュアンスが含まれているけどここにはそれがない。どういう話だったかというと、電車が20秒早く出発したことで鉄道会社が謝罪したっていう日本人は狂気じみているっていう話題から始まって、食生活が縄文時代から変わっていないとか、日本語は世界で特異だとか。

 

面白いなと思ったのは、日本人だけが虫の声を生活音と独立させて聞いているっていう話。外国だと右脳で捉えるけど、日本人は左脳で捉えているみたい。別に虫の声を聴くことに合理性はないっていう話。外界の捉え方が違うのかな。

 

という話を見ると、日本人で良かったなと思う。無駄がある方が好きだから。

 

 

そろそろ最後か。

 

論理的思考の手法を本格的に習得しようと思っている。樹形図とかマトリクスとか時系列で整理するとかしながら、問題になっている事柄について漏れなく重なりなく考えることらしい。

 

ただ、これを習得しようと思うのは、むしろ論理の外にあるものを捉えるためのような気がする。自分が捉える事象って解決したいもの理解したいもの説明したいものとそれ以外があるのは当然。前者に関しては役立つだろうけど、後者に対してこれを使ったら歪なことになりそうだから、混同させないために使いたいところ。非論理を論理的に説明したってしょうがないし。

 

 

あとは、知識って自分が知っているものの新情報なのかなという思い付きがあったけど、今日はやめとこう。

 

 

おやすみなさい。