硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

自己認知(前)

お疲れ様です。

 

2週間目終了。実際の応対をモニタリングするのは二回目だったけど、やっぱりニーズがちょっと違うなって。言葉遣いはやや崩れているけど、そんなことよりも仕事がつつがなく終われば良いし、聞いてくれれば良い。ただ、結構ギリギリのバランスを保っているみたいだから、崩れ過ぎてもいけないし、丁寧過ぎてもいけなさそう。基準がないのは望むところ。

 

キーボードはデスクトップ。打ちやすい。感触がしっかりしているから次のキーへ動かしやすくて。いずれうちのも変えたいところ。運指が一定だったら道具が多少変わっても問題はないのだろうけど、そんな域には達していない。移動を減らすことと打ち間違いを減らすこと。

 

 

夜ご飯は奮発して、お刺身を買ってきた。個人の価値観だけど、焼き肉よりもおいしい刺身の方が贅沢品。あとは、消費期限が終わりそうな豆腐を冷凍していて、解凍したものをスライスしてバター醤油ソテー。肉感はあまりない。あと、豆苗とトマトのサラダ。過激なベジタリアンって魚も食べないと思うけど、魚の恐怖も体感しているってことなのだろうか。

 

 

ともあれ。

 

人間考察は観察より趣味が悪いと思うけど、美学入門で演劇の話が出てきて、登場人物は過ごしてきた癖の誇張だ(もはや原文とは別物)みたいなことを言っていたから、後学のために同期について。

 

正直、あまり文字にもしたくないところなのだけど、僕の好転している人生上にねじ込んでくる何かがあるのだろうかっていう主観的考察。どの宗教に属するかは知らないけど、僕は世界は主観的なものだっていう信仰だから。

 

認知の話で言うと、なかなか特殊に見える。一言で言えばマイペースで済みそうだけど、客観視が全くないないのかなって思わなくもない。全くないだと語弊があるけれど。

 

とりあえず、9回出勤中、10分前に集合して朝礼ありますっていうのを3回遅刻している。これって、自分が派遣社員側でも採用している側でも明らかアウトの行動だと思う。でも、当人の様子を見ていると、モチベーションがない訳でもなく、実際に仕事をした後のことも考えている風なことを話す。

これって自分の価値を過大評価しているのだろうか。会話していても自分が派遣の初月機関で切られるかもしれないっていう意識が全くなさそう。遅刻しても許されるっていうのは、社員も緩くて大丈夫そうだって把握してからの話だと思うけど、僕が見る限り、今のところそういう人は1人も居ない。前の法律事務所はそういう意味ではゆるゆるなところだったけど。そんなので怒ってこられても、本当に純粋に仕事のことのなのか分からない。

 

ということは、自分が今まで大丈夫だった基準に合わせて動いているように見えなくもない。どんな基準だったかの詳細は分からないけど、結局のところ、外界は同期にとって、何の影響ももたらしていないということ。

 

 

個人的には、最初の一か月で消えていく人だろうなって認識している。やたらと眠くなるのはなんだろうって思っていたのだけど、おそらく、副交感神経を優位にしてくれる職場なのだろうなって暫定的結論。だから同期は多少大丈夫だろうって認識して平気で遅れてきている。

 

でも、このゆったりした職場がなぜ成立しているのかって考えていくと、仕事をきっちり精鋭がこなしているから。緩さを守るために上からきっちり締めている。人格を締めるじゃなくて、仕事だけを締める。当然仕事には朝礼も含まれているはず。これで同期が残されたとしたら、認識は改めないといけないけど、きっとそうはならない。僕は1人の方が良かった

と思っているし(薄情者)。

 

不協和音を奏でる人はあそこには居られないと思う。

というか、そうして欲しい。引き上げるのが大変すぎる。

 

認知って、外界をどう捉えるかより、自分がどうかみたいなところ。

 

前編で。