硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

レビュー

リスニングは継続。行き帰りの満員電車の苦痛より、外観遮断して聞いている方が楽だから継続するしかかない。2倍速だから、もう多分3周目くらいになっている。と、思うと今までもったいなかったなぁと。どうせなら落語とか聞いておけばよかった。

 

耳はいつも自動的に外界を聞いているから、集音させているだけで全然勉強と思ってない。最終地点は日常で英語のサイエンス記事を読めるようになりたいだから、まだまだ先は長い。

 

 

さておき。

 

明日は一次面接だから履歴書を書いていた。自分の字はどうしても好きになれない。汚いし、同じ文字なのに次は同じ形にならないっていう読みにくさ。僕の字を良きと評価してくれた人が大昔に居たけど、あれは歓心を得るための甘言だったのだろうか。

 

志望理由欄は少し苦労した。文字数ではみ出してしまうっていう。書きたいことはいっぱい

あったから削る作業が大変。でも削る作業は増やす作業とは違った意味で面白い。要るところと要らないところを選別するのは自分が大事にしているとこは何処を決めること。削った言葉と増やした言葉ってたぶん読み手には伝わる。

 

ともあれ、どうせ口頭で聞かれるだろうから、この削った分を発話すれば良いって思えばここには準備は要らない。

 

筆記試験も正味楽しみだし、この業界初見だから聞きたいことがいっぱいある。

企業研究も、さらっとホームページ読んだだけだけど、気になるところはいっぱいあるから、ちゃんと発話できるかどうかしか問題じゃない。

 

 

僕がこうやって観測するのは、注力したら何かになるっていうメカニズムを疑問に思っているから。社会システムで見たってそうだし。努力すれば全部結果になることはないし、結果を前提とするならそれは努力じゃなくて作業だろうし。恋人関係で言ったって、努力で番になれるわけでもない。

 

結局は縁だって考えると、最低限を整えて、あとは自分を出して丸投げしかなかろうなって。

これはきっとどういう関係でも等しい。最低限が駄目だったら、、、。

 

 

最後。

 

知ることへの恐ろしさの続き。

 

何かをこれ以上知らないように決めるっていうのは、人格を自衛する意味で凄く大事なことだと思う。何かを知るっていう行為は、自分を無防備にすることに等しい。自分の人格の枠内で情報収集っていうのは、知るとはちょっと違う。

 

これを踏まえて、ソクラテスさんの無知の知を解釈すると、無知なことを自覚できる点で人間が優れているっていう意味ではなくて、無知の知を知った人は、もう後戻りできないってことだったんじゃなかろうか。当人も結局身を滅ぼしたみたいだし。

 

 

僕はきっともうそういう領域に入っている。

より恐ろしくなるだけなのに、生きている限り知ることを止められない。

 

っていう風に人格を規定してしまえば、おそらく楽になれる。

対人関係はその後だけど。

 

 

おしまい。