硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

睡眠不足で言語不足

寒い寒い。これが終われば一気に暑くなるのだろうけど。でも、これくらいの気温の方が汗もかかないし、厚着もそんなにしなくは良いし、それなりに厚着すれば空調も要らないしでちょうど良いのかもしれない。

 

そういえば、昨日書いていた紫の花と言えば、ガクアジサイもあった。僕っぽい花だと去年万博公園で言われたのだった。

 

さておき。

 

昨日の昼から、前に家から送られてきた乾燥ぜんまいを戻した。まず2時間くらい水につけておいて、水を換えつつ2回沸騰させて、水につけて冷蔵庫に保存するときは毎日水を換えなきゃいけない。水煮を買うにも高級品。とりあえず大量に大根と豆苗と煮物にした。実家風に言うと炊いたか。これだけ手間をかけているからか、野草のアクも繊維質もほとんど残ってなくてやたらと柔らかいのに味はしっかりとぜんまい。未調理がまだまだ大量に残っているけど。炊き込みご飯とかナムルとか色々やってみよう。

 

料理に試行錯誤してきた先人の変態性にはいつも感服する。食べるだけならもっと楽なものはいっぱいあっただろうし、山菜でもアクが少なくて調理が簡単なものだっていっぱいあるし、飢えていたからじゃ説明つかない気がする。探求心とか好奇心とかと言っても、キノコ類に限らず下手すれば死ぬし、模索していく原動力はどこにあったのかという部分。

 

食と言えば、最近貧乏飯のレシピ界隈をダイブしている。個人的には気力が湧かないときにどれだけ時短しているのだろうっていう部分を見るために。っていう視点で見るとそれほど節約しているわけでも時短でやっているわけでもないなぁと。卵かけご飯は好きだけど。あと、貧困生活している人のブログで野菜は高くて買えなくて炭水化物ばかりみたいなこともあったけど、もやしとか業務用スーパーのキャベツとか大根とかいっぱい使えるものだったらコスパは淡水化物とあまり変わらないような。結局のところ調理技術を試行錯誤して高める時間っていう資源がないっていうところなのか。炭水化物のおなかの膨れは不自然だけど、白い炭水化物に飼いならされているからなぁ。

 

ともあれ、精神的に下降傾向がある人のブログで、料理はできた方が良いっていうタイトルの記事があった。これはちょっと別の視点の話。積んでいれば落ちた時でも勝手に体が動いてやってくれるというニュアンス。生命維持にとってはかなり有益なオートパイロット。

 

僕が料理をするって言って、実際に弁当を見せたり食べさせたりすると、僕と一緒に生活する人は味付けにいちいち文句言われそうで大変だ、俺はどんな料理でも文句言わずに食べますって言った人が居るのだけど、なかなか的外れな仮説。他人に料理を作るっていうのはかなりのストレスで、だからこそそういう産業があるし、自分が積んできたことと相手が積んでないことは別問題だから、そこに文句をいう筋合いではない。まぁ、試行錯誤をしようと思わない人の料理はどうか分からないけど、そういう余地がある人には積んだ分で協力できるというだけ。まぁ感覚料理だから切り方とか調味料の厳密な量とか聞かれても分からないけど、料理下手っていうのは自己把握が薄いところにあるのでは、という気もする。

ちゃんと計量スプーンから始めれば、そのうちそれが感覚になるような。

 

夫婦の家事の分担の話で、過程に文句を言いだしたらおしまいだっていう話があった。自分のやり方と違ったやり方が目についてイライラするのは間違いで、結果があれば良い

のだって。僕はちょっと違う。過程の方が大事だと思っている。別にこだわりはないけど、だからこそ、より良い工程を省く手順をお互いが考えて良い。その分手が空いてパートナーが休めるならそれが成果。自分が苦労している分パートナーも苦労すべきみたいな感覚は、相手は味方ではなさそうな。そういう感覚は承継されているものだけど、僕は解脱した。

 

 

占いの本で、牡羊座は相対的に人を見る感覚が薄いっていうのがあった。確かに自覚しているし、そういう部分を積んできたけど、自分が牡羊座だからなのか牡羊座に生まれてなくてもそうだって断言できるかって言われたらそうでもない。学期の話だと、先人が居ないから

自分で基準を作るしかないっていうのはある、のか。

 

何かの反動なのか、やたらと眠い。自律神経とかホルモンの関係なのだろうけど、睡眠は人生の肯定みたいなものだから、良き傾向ではある。ただの生理現象にそんな意味はないかもしれないけど、睡眠は「明日」のために「今」の自分の意識を消すものだって捉えれば、そういうことになる。

 

人の闇。

 

こういうときに危ないのが、自分の精神バランスが崩れたときにふと自暴自棄になってしまうところ。自殺が多いのは鬱傾向からちょっと回復したときっていうのは分からなくもない。精神的恒常性はどういう状態であっても適用される。っていう感じの漫画をアプリで読んでいる。

 

色んな女子高生の精神傾向について描かれているのだけど、共通項としては、親から継承した精神性という部分。造形が良くて、他人ブスだって卑する女の子は、父親が女性を造形で見ていて、母親は父親に愛されるために整形でアンチエイジングしているとか。

 

あと、死者を処理する役所の漫画。中身は風刺っぽいけど、登場人物が死者だらけだから変なクレームが起こらないようにしているのはなかなか戦略的。役所の職員はみんな死刑された人で、職員それぞれにエピソードがある。例えば姪っ子が強姦されて犯人2人を鍬で撲殺したけど動機を語らなかった人とか、嫁が宗教団体に入って云々あって冤罪で死刑なったとか。

 

その宗教団体はなんとなくまともに見えなくもなかった。まぁ、自己肯定を他者に依拠する時点で肩書社会とそんなに変わらないけど。

 

もう1個は三月のライオン2期。将棋の漫画と思ったらいじめも出てくる。

 

これで持って帰ってきた部分っていうのは、人を害する人にはそれなりの環境がある。友人は二十歳過ぎたら自己責任だって言ってたけど、それは社会的な責任であって、社会的責任に至らない責任は責任と思わないことと同義。本音はそこじゃないと思っているけど。

 

要は、どこに原因があるかっていう話。いじめは社会の縮図でそれをする人は親からそのものさしを承継しているわけだけだし、公共の場でマナー違反をする人も然りだし、人を傷つけることに痛みを与えててなんとも思わない人だってそう。環境要因がものさしを決めるっていうのはマウスも人も同じ。でも、ということは、誰か特定の人に感じるもやもやって、もしかしたらその人を作り上げた環境に対してかもしれない。ってなってくると、何にイラついて良いのか分からなくなってきて、生きている意味すら不可思議になってくる。

 

人が進化しない部分はきっとここにあるような。

 

 

おしまい。