硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

変化と進歩は違う

面接に行ってきたのだけど、その道中、3年前くらいに日替わりでいろんな所で働いていたときに、ちょくちょく一緒になっていた人が向かい側の座席に座っていた。職業上の会話はしていたけど、特に思い出すようなことはなかった人。それでも、見たら分かった。

 

何の変化もなく過ごしているのだろうなと見えたけど、3年前の単なる通り過ぎた人を覚えているものだろうか。過去の人に会ったのは久々だったから、面接に向かう緊張感そっちのけでちょっと楽しかった。向こうが気づいたら少しは話そうかなと思ったけど、こちとらあのときには一切縁がなかったスーツだし、カンペで顔を隠しつつだったから、本心では気付かれたくなかったということだろう。

 

ここで思うのが、自分がどういうメカニズムで人を区別しているのかっていうところ。一般化してもいいけど、人って何十億人も居るわけで、全部を具体的人間として見ようとすれば脳の処理能力が追いつかない訳で、単純化っていう整理をするしかない。

 

純化っていうは類型化で、こういう人はこういうものだとすることで、具体化は、自分にとって何か影響があるかどうかってこと、としてみる。

 

僕の中では、単純化はしてない上に、名前も顔も分かっても具体化はしていていないのかもしれない。単純化の反対は抽象化で具体化の反対は一般化だから、微妙に違う。

 

受付のお姉さんは次何処かで見かけても気付ける自信はないけど、最寄りのスーパーとかコンビニのレジの人は私服でも分かる。

 

結局のところ、よく分からないということで。記憶力とは別だと思うし、スピリチュアル的な意味もなかろうし、おそらく形態と不文律をセットで把握しているからだろうけど、分からぬ。

 

 

さておき。

 

面接は、かなりざっくばらんというか、人事としてどうなのだろうっていう感じだった。募集要項だともっと斬新なことになるのかなって思いながら行ったけど、特に何も語ることはなく、最終面接については後日連絡しますっていうことになった。趣味読書、特技料理って書いてみたけど、料理については節約ですか、みたいな一般論。

 

まぁ筆記試験は面白かった。見たことあるなって思ったからネットから拾って来たのだろうけど、4問あって、1問ミスった。問題覚えて帰ってから正解まで辿りついたけど。

 

算数っていうより論理問題。

ってことは、正解っていうよりはプロセスを聞くべきだと思うし、過程があって3問は正解に辿りついて準備はしていたけど、聞かれることもなかった。

 

確かに知らない人にはハードル高いかもしれない。

 

鉛筆と消しゴムがセットで110円、鉛筆は消しゴムより100円高い。鉛筆の値段は?

 

1分で2倍ずつ増える細菌を浴槽に入れると100分でいっぱいになった。では、最初に2個入れたら何分後にいっぱいになる?

 

8個の中に1個だけ重さが違うものがあるとき、天秤を最低何回使うと重さが違うのが分かる?

 

天秤問題は、素朴に考えると、半分を分けて量って、その半分を量って、残り2つを量っての3回だけど、3、3,2に分けて、3と3で量れば2回で済む。その先は御自分で。

 

こいつらは解けた。

 

解けなかったのは、1時間毎に4分遅れる時計の問題。時計が遅れるっていう意味が捉えられなくて、逆にしてしまったからよく分からないことになった。時間に疎いのは、時系列をあまり重視していないっていうことだろうなって。時空自体にあんまり興味がない。

 

ともあれ、4分遅れるっていうことは1時間に56分しか進まないってことで、紙で解いた後にExcelの関数で検算した。もうこの言い回しは忘れない。

 

 

おこがましい話だけど、最終面接で社長がやってきたら、新しいことができるって募集要項はどういうことだったのですかって逆質問したい。そのためには介護業界に対して色々準備しとかないといけない。

 

僕は社会経験全然ないけど、それで自分を卑下するのはやめた。これを見下すのは社会経験が長いだけの変化が閉じた人だから。

 

 

変化を楽しむというのは、おそらくだいたいの人ができないこと。なんでかって言うと、仮初めの安定が大事だし、その安定を守るためには自分の変化より、世界を自分の都合の良い良いように捻じ曲げた方が楽。

 

僕は今までの人生で変化しかなかったし、一般的に引かれていたレールを尽く外してきたから、むしろ変化がなくなることの方が怖い。

 

ところで、死について! は、躁鬱の人の話だったのだけど、自分の器を固有のものだって思える感覚は誰にとっても必要だろうなって思う。自分の器って比較できるものではない。

 

あとは親しい人の価値。妻が銃を隠してくれなかったら自分は死んでた、みたいな。

ここで婚姻制度を思ったのだけど、これって子孫繁栄のためのシステムっていう側面もあるだろうけど、誰かと生活していればそうそう変なことにはならないっていう自戒のシステムでもありそう。システムをシステムだけに留めていると平気で変なことになるけど。

 

最後。

 

この人の話でそうでしかないなって思ったのは、自分の命は自分の中だけのものじゃないっていうこと。自分が死んだら誰かを損なうことになる。ある意味では魂の偏在論と近い考え方。

 

要は、自分が具体的に人と接したら、相手にも自分の命が伝達するっていうこと。

具体的の中身は相手次第だから、少し語らったらそうなるかもしれないし、文章かもしれないし、当人には把握できないところで、命は広がっている。

 

 

そうやって拡散していくけど、命を握っているのは誰かって言ったら、自分でしかない。

 

 

おしまい。