循環の外
今日はすこぶる調子が良かった。7時間寝られたからそうなったと思っていたけど、そうでもなさそう。なんなのだろう、精神状態で対社会でのパフォーマンスが全然違うのは。面接でも誰だろうこいつっていうくらい社交的だった。
ところで。
今日の読書時間に社会学読んでいたら、社会的行為っていう話が出てきた。なるほど、刑法の行為論の社会的行為論もここから持ってきているのだろうなって思った。刑法の行為論っていうのは、犯罪にあたる結果があるときに、行為者のどの行為を犯罪行為とするのかっていう話。もう少し厳密にいうと、犯罪行為自体とはなんぞやっていう幾分哲学的な要素が含まれる。
今のところ、「社会的に意味のある意思に基づく身体の動静」っていう定義が主流なはずだけど、これってくしゃみとか寝相とかみたいなことを除く意味合いしかないみたい。そもそも、「社会的に意味のある」っていう部分は今の常識で見てっていう意味合いしかないし、「意思に基づく」っていう部分も、脳科学で、自分の意思を自覚する前に体はそういう行動をするために準備しているらしいし、なかなか橋渡りな定義だと思う。
これを学問的に探求すればキリはないけど、こういう行為論は日常に持ってきても良いような気がする。その行為が自分のルーティーンの内側なのか外側なのか。相手の行為がそうなのかどうか。
社会的に意味がない世界の行為論の方が楽しい、ここは割と人の本質が剥き出しになるから。っていう観測でも、人は結局誰かに認められたいっていう傾向がある。僕はなんだかん
だ否定しつつ相手の本質を認めるから、極めて狭い範囲では親しくなる。
これを踏まえて。
なんだか面接ってカウンセリングと似ている。違うのは対価がないし、相互的な自己観察になるっていうところ。あなたには社会的に価値がないんだよって言うことは、自分には社会的な価値があるから言っているっていうのと等しくて、何の事務経験もないのにタッチタイピングできるようになっているのはなかなか凄いことなのだろうなっていう、自分のスキルの再確認にもなる。
本題。
感謝のフィードバックの話。
人の原動力で1番強いものは何か。面接で聞かれそうな問だけど、僕なら本能じゃなくて興味って答える。興味って副次的なものとしている人がほとんどだろうし、基本的に興味って抑圧されているし。
ってな感じで今日ふと思ったのが自分の感情を大事にしようっていうものさし。
僕の中でのこの言葉は、事後評価で喜怒哀楽って表することではなく、その瞬間の非言語的な反応のこと。
これを持ってくると、他人の反射っていうのもそういう風に見られるようになりそう。
この人の反射はたまたまこうなったからきつくなった、みたいな。でも、これは現実化した感情であって、厳密に相手の感情でもない。
そうして、カウンセリングしてもらって出てきたのが、僕は人に貢献したいっていう感情があるっていうこと。ということは、人に自分の存在とか言葉を感謝されることは普通に栄養素にして良い。
もっと拡げると、正社員登用面接では、社会に貢献したことがないから、社会に貢献してみたいっていう興味があるっていう志望動機で良さそう。おそらく一番最初に面接受けた会社もそういうことを聞きたかったのだと思う。
最後。
僕はあらゆる方面でいただきますって意味で感謝しているけど、感謝されることも栄養とすることにした。そうしたら栄養価高くて大変。
おしまい。