まなざし
個人的に雨はそんなに嫌いじゃないのだけど、雨を毛嫌いするのは何故だろうって考えていた通勤時間。結論としては、余計なことをしないといけないと認識しているからかなと。友人は雨の日は湿度が高くてくせ毛がうねって嫌だって言っていた。傘は差さないといけないし、洗濯物は部屋干しして生臭くなっちゃうし。
ここだけだと単なる観察。
では、考察。
余計なことかどうかっていうのは、何かと比べて、っていうのが前提になる。ここだと明らか。おそらく日本は統計的に晴れの日数が多いっていうのもあるだろうし、省エネできて都合が良いっていうのもあるし、日の光がそもそも好きだっていうのもある。
要は、人がものごとを捉えるときには基準が在るということ。平均値と絶対値があるかなぁと通勤時では思っていたけど、書いていたら、何回か同じ出来事が偏ればそれが標準になるっていうのが追加された。人は偏りも好き。楽になるものが好きっていうのもあるし、混雑してきた。
交通整理して。
平均値と絶対値。平均値は変動があるものだから基準とするには正確ではない。天気の絶対値はうつろうこと。まぁ人が生きる上で正確な基準は必要とはされていなくて。大事なのは自分が生きやすい基準。
では、人の絶対値はなんだろう。絶対値っていうのはどうあっても変わることがないもの。っていったら、明らか。
死。
やっと本題。
時系列は冒頭より少し遡る。
早めに目が覚めたからブックマークを眺めていたら、久々に美味しい文章を食べて、なんだか初体験に誘われた。さそわれたと表記が一緒なのは困るな。
まだ、実際に観に行くかっていうのは保留にしているけど、本当に行くと想定したら原案読んでいないのは失礼だろうなって、起床から通勤時間の合間に検索したらたまたま中古で1冊だけあったからネットで本を買うのも初体験。
基準値っていうところでいうと、僕はあるかないか分からない一回を標準としている。
だからと言って客観的な世界は変わらない、なんてことはない。
たまたまかもしれないけど、今日は仕事も流れが変わったかなっていう印象だった。
個人的な見解だけど、このたまたまっていう感覚が1番大事。
変な話、人間関係だってほとんどがたまたま接することになって継続しているわけで。
継続年数が人間関係の深さだっていう向きは確かにあるけれど、これって要は平均値の話に戻る。
さておき。
社会学命題コレクションもあるし、交信でもあるけど、社会的な性差みたいな話。
これは個人の目よりもっと広いからいろいろと錯綜する。
一言で言うのも難しいけど、人って創造に対する素朴な羨望があるけど、それを自然にやってしまう女性に対する劣等感が今の社会の根底にあるのだろうなって。
優位に立つには、社会をそういう風に創設するしかなかったからこんなに歪になった。
父親は自分の子供が本当に自分の子供か分からない不安感があるっていうのは確かになって。その為には女性を家族として拘束して他の男と交尾しないようにする必要があった。
なんだか生々しくなってきたけど、恋愛感情も基本的には社会の刷り込みで。
性に奔放な人に対する評価って、きっと非常識だとか相手を大事にしていないとかしかできないはず。性交渉のパートナーが相手だけだと何故相手を大事にしていることになるのか、説明できるかしら。
最後。
結局のところ世界は自分次第だっていうことは何回も書いていると思うけど、もう少し展開すると、自分の認識次第だっていうこと。常識は壊せても認識は簡単には壊れない。
おしまい。