硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

噛みごたえ

アメリカでは赤かったらしいけど、こちらはこちらもなかなか凄かった。満月。帰りに前を歩いていた女性が綺麗だと思ったのか写真を撮っていたけど、あれだけ大きくて光量が凄いと、個人的にはそわそわというか、ゾワゾワした。僕のスマホでは画素で無理だろうとは思ったけど、一応カメラは向けてみた。光でぼやけて、雨の日の窓越しのネオンみたいになった。どれくらいの人が今夜月を見上げただろう。

 

 

さておき。

 

今日は時間があまり押していない。またご飯を作らなかった。胃もたれが続いている訳でもないと思うのだけど、あまりご飯を食べる気がしない。朝ごはんは納豆掛けご飯で、昼は持っていたご飯と、カップ豚汁と豆腐ハンバーグ。お腹空くだろうと思ったけど思いの外空いていなくて、しかし残すわけにもいかないからなんとか無理やり詰め込んだ。だから夜は無理しなくていいやって、おにぎり1つを帰りかじって、その後アボカド納豆、そんでもって今はプレーンヨーグルト。あれ、充分だな。また胃が小さくなりそうだけど。

 

 

別に気分が落ちているという訳でもないけど、村上春樹の小説を読み返したい気分。抽象的な世界に浸れるから。とはいえ、だいたいの作品少なくとも2回は読み返しているから、なるべく新鮮なものがいいなぁと、家で「国境の南、太陽の西」を探したのだけど、アフターダークやらダンスダンス(下)やら、沈黙しかなかった。沈黙は最初に読んだこの人の作品で、最初は誰か書いたか知らずに読んだ。たしか現代文の模試か何かに出てきたはず。人の暗がりが印象的だった。

 

 

 

ともあれ。

 

なんとなく皆元気がない模様。僕も別に悪いことがあったわけではないけれど、なんとなく変な気分ではある。皆満月にあてられたことにしておこう。仕事は、ちゃんと寝られさえすれば大丈夫だろうと思っているし、実際特に何もない。やっぱり知識面でもったいないかなぁとは思うのだけど、そういった短絡的な利害で選ぶとあまりよろしくないのは学習しているし。

 

 

最後。

 

睡眠の観念について。

別に寝て起きるっていう現象は変わらなくて、単なる捉え方の話だから誰かにハマるとかは思わない。自分が寝るために洗脳しているというだけ。

 

睡眠が死に近いと感じているっていうのは何回か書いたけど、それを進めると、睡眠を隔てた生活って、世代交代に近いよなと。人体を種と考えることも厳密に捉えればありうるだろうし。細胞は分裂して入れ替わるし、預かり知らないところで種を存続させるために色んな器官が働いているし。そうすると、意識の位置付けが問題になるのだけど、とりあえず、そうやって絶えず変化する器に乗っかって無自覚で影響を受けているのが意識だとしてみる。体調によってパフォーマンスも感情も変わるし、感情に基づいて行動として現実化するなら、それは外から見ればその人そのものだろし。

 

そうすると、5,6時間も途切れてしまったら意識の継続性はもはやないのではないだろうか。記憶はあくまで経験として蓄積された過去の遺産みたいなものと考えると、世代交代で良いかなって。

 

なんでこんなにややこしく考えないといけないかっていうと、寝付くときに考え事をしないため。どうせ死ぬのだから次の世代に任せればいいし、今日どれだけ財産を残すかが大事。

何日か自己洗脳してみているけど、結構すっきり寝起きできる。何か弊害はないかなとも思うけど、単なる中身の話だから多分大丈夫だろうと思っている。

 

明日は、こういう文脈の自己肯定について書こうかな。

書かないかもしれないけど。

 

 

最後の最後。

 

森博嗣さんのブログで、理系の本質みたいな話があった。この人の説だと、言葉で割り切るのが文系ということらしい。論理の結果が言葉だと文系らしい。僕は言葉をこのときはこういう意味だけど、全てがその意味ではないと思っているし、なんならニュアンスを絞ったりズラしたりするから、理系っぽいのか。文理選択で理系選んでも面白かったのかも。

 

あまり食べないほうが頭の調子は良いような気がする。

 

おしまい。