硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

細胞分裂

 

色々空っぽだけど、惰性で弁当作れるわーと思ったら一品余計に作っていた。惰性にも程がある。何かをしなきゃならないっていう一番のエネルギーはその前の無形の億劫さ。どういうメカニズムか分らないけど、これはどれだけお金があろうが健康があろうが変わらない。

 

日記が終わる前に何か思いつくといいな。

 

さておき。

 

2日も空いたのは、金曜日が忘年会で、土曜日は胃もたれと倦怠感。

 

忘年会は、二次会までは大丈夫で、三次会の最初も覚えているのだけど、そこから先があまりない。二次会で大丈夫だったらそこで離脱できればスマートだったのに、タイミングをなくした模様。おそらく飛んでいる部分は寝ていたのだと思うけど、分らない。その後はタクシーに乗っていて、その後は朝。よく帰れたものだし、同乗者が載せてくれたのだと思う。

 

いじられるか怒られるかは明日行ってみないと分らないけど、どういう因果か、僕がもう少し当人のことを知りたいと思っている2人だった。(と思う)。やっと自分がやっていることを話した人と事務方で一番仕事ができる人。

 

凄くどうでも良い酔っぱらいのたわごと。

 

酔っ払わないと粗相をしないみたいな話がある。確かに物理的な面ではそれはある。寝るとか吐くとかこぼすとか。肉体と精神がズレるから

 

でも、精神的な面はどうだろう。絡みとか暴力とか暴言とか。こっちは、酒を飲もうが飲ままいが本質だと思っている。だからこの癖を禁酒してなくしますみたいなことにはならない。共同生活していればいずれ晒されるもの。

 

 

寝るとか昔の自分では考えられないのだけど、これは肝臓が弱くなっただけではない。

抑圧していたから。他人がどうでも良くなったからこうなれた感。だからと言って、楽しいわけでもないから、もうこういう場は要らない。明日どういう方向で謝ろうか考えていいる。

 

ということで、僕の本質。

死に向かう精神。何か誰かと良いことをしようとか、一瞬の安らぎとか、どうでも良くなる。

泥酔状態でそのままこの世から退場するのが一番良いと思っている。

リモートコントロールでなんだかんだ帰るから質が悪い。とはいえ、その機能もだいぶ鈍っているから、昨日起きたら左手がやたらと負傷していた。帰りに転びながら帰ったのだろう。心なしか左のあばらも痛い。左の頬骨に目立たない内出血もある。よく帰れたものだ。

 

怪我するって大人になるとあまりない。でも一日で傷がふさがっているところを見ていると、肉体はちゃんと生きようとしているんだなって思う。

 

 

これもある意味楽しいし、おそらく空っぽになる瞬間も要るのだろうなと。

 

 

そろそろ、穿ってみてよう。

 

 

酔っ払ってやったことをアルコールのせいにするっていうのが主流だと思うけど、僕はそういうことはしなくなっている。明日どう扱われるかは知らないけど、個人的な評価としては、どれだけ本性を出してしまっただろうかっていうだけ。

 

凄く疑問なのが、酔っ払って記憶が飛ぶところを問題視するところ。

人の意識って別に一日の全てを覚えている訳でもないし、一週間前に寝た時間とかもアルコール飲んでなくても覚えてないと思う。毎日同じ時間に寝ているのなら別だけど。

 

素面の意識って、本当は穴だらけなのに記憶として繋がっているって辻褄をあわせているだけだと思う。こんなの、酔いつぶれようが変わらない。

 

と、記憶飛んでいる間に繁華街で寝て、起きて歩き回って、歩いている最中に意識が戻ることを経験した自分が言う。

 

最後、

 

誰かにメールしたような気がするけど、結局のところ割と他人を試している感がある

。自分のどこまでが相手にとって大丈夫かなって。

 

 

最後の最後。

 

僕が好みなのは、死に向かう精神を持っている人。

あんまりいない。向かうっていうのは対抗するっていう意味も含むけど、ほとんど惰性に見える。僕も惰性に委ねても良いのかもしれない。きっと良いお父さんになるし適度に承継していなくなれるし、ここにある意識は居なくても良い。

 

 

おしまい。