硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

人は慣性があればだいたい生きられる

 

 

まだなんとなく主客が一致していないけど、世界は何も変わらない。あばらは痛いけど。これはヒビ入ったかなぁ。コルセット的なものは確かうちにあるし、病院行ってもレントゲンと痛み止めだけならどうなのだろう。ただ、内臓には痛覚ないからなかで出血しているとちと困る。空気にあまり触れないし水分満載だから、赤血球機能しないのでは。外傷は赤血球を機能させない方が治り早いし後も残らないのだっけ。まぁ感染症を防げない自然では最良の血止めだったのだろう。

 

なんとなく、晩御飯は酢豚。

なんとなくて酢豚が食べられるのはなかなかありがたい惰性。ただ、食材と調味料が雑いし調理も全然積めてない料理。食材は揚げていない豚こまだし玉ねぎの代わりに茄子だし、人参はレンチンで下処理したけど柔らかくなっていないし注文はいくらでもつけられる。調味料は、米酢でなく黒酢じゃないと本格的な味にはならないだろうなぁ。あとみりんもほしいところ。まぁ家庭料理としては人参さえちゃんと柔らかければ美味しい。

 

 

さておき。

 

今朝出勤する前、ブラックアウトが不安な理由を考えていた。それは、主観がないのに客観に観察されている状態みたいな無防備さ。夢を現実で見ているようなものだから。現実の定義で好きなのが、脳科学者の池谷さんだったと思うけど、が書いていた、五感の複数が一致すること。

 

確かに主観的な現実としては一般的に正しいと思う。僕はあんまりそういう見方はしないけど。強烈な刺激を現実とする。例えばこの前の嗣治さんとか、文字だけでも良い場合もある。

 

でも、もう少し考えていって、複数人の中の共通の現実、つまり社会的現実とは、本人の主観と他人の主観である客観が重なった部分を言う。客観っていうのは客観の集まりの世間とか常識でも変わらない。

 

 

ともあれ。

 

あらゆる粗相の可能性を想定して出勤したら、なんの変哲もなかった。

出勤一番、飲み会で一番会話した人(ほぼ素面で最後まで居た人)が、硯さんも記憶飛んでますよねって言ってきて、すいません、寝てしまいましたよねって返したら、いや、ラーメン食べていましたよと。どうやら恙無く三次会カラオケを終えて、皆と一緒にラーメンを食べて、その後タクシーに乗って帰ったらしい。この説だとブラックアウト期間3時間くらいある。寝るより酷いことになっている。

 

他にも何か情報あるかなって思って聞き耳を立てたのだけど、筋肉の人が皆に楽しんでくれてありがとう、硯さんも楽しんでいましたねってついで程度に言われた以外の情報がなかった。悲観思考だから、一瞬箝口令でも引かれていて、今でも疑っているのだけど、一番下っ端にそんなことをする必要もないだろうっていう合理的精神もあって、もう少し要観察。それよりも同い年の人の振る舞いがあかんだろうみたいなところが聞こえてきて、なんか嫌だなって思った。詳細は省略。同い年の人はそうとう孤独を感じながら仕事して来たのだろうなと感じただけ。

 

自分がやらかしたと思っていることは客観としては別に大した変化でもないっていう説。

そうやって構えていると今日の仕事は皆よそよそしく感じたのだけど、記憶を遡ると、こんなものだったかなって思う。

 

そうして、ブラックアウトって、海馬が機能しないことをいうらしい。

海馬は記憶を司る部分だけど、もう少し考えると、海馬は意識の繋がりも司っていると思う。んで、意識障害は割と日常的に起こっていることを考えると、人が生きるだけに関しては、意識はそんなに必要じゃないんだろうなって。

 

ブラックアウト中に本を読むことはできないだろうなと思ったけど、夢を覚えていないだけって考えるとできなくもなさそう。おそらく海馬ではない所には収納されている。

 

海馬の機能ってなんだろうって思うと、過去の膨大な情報を記憶っていう形で取捨選択して今と辻褄を合わせることで、要は、自分は生きているのだ感を保つことだと思われる。

 

 

あとはなんだっけ。

死に向かう精神ってなんだか仰々しいから改めておく。

 

孤独を自覚している人。

 

 

おしまい。