縛り
ささみのチーズフライが食べたくなったから大葉入りで作ってみたけど、パン粉がなかったからか、思っていたのとは全然違うものになった。美味しいものしか使っていないから美味しいのは当たり前だけど、料理には見栄えも含まれているから。
まぁ美味しいのは良いけど、このままでは頭打ちかなっていう気もした。
もっと緻密に現実化しないと。自分だけが食べるものだからって適当にすると緩む。
別に現状に不自由しているわけでもないのだけど、それでは機械と変わらない。
毎日このタイミングで作る物。それも習慣と呼べば良いことなのかもしれないけど。
さて、おかない。
このままを是としながら生きると、向上しないなっていうところから。
自分が気に入らないなら、気にいるように変えていくしかなくて、それは単に時系列のレールに乗っているだけでは難しい。このレールにはもちろん努力も含まれる。
努力は良いことできっと自信に繋がるのだろうけど、そのレールはかなり局所的な気がする。努力の概念自体が目的に向かう労力だろうし。これを全事象に対応できる自信とできるなら悪くない。
というのは無理だから、僕は汎化できるように積むしかない。
それでも終結がないから生きていられる。
この話つまらないな。
さておき。
思っていたのと違うっていう結果は僕にとっては凄く大事。
期待っていう観念がある。感情なのか価値観なのか分からないけど、僕の中では死語。
他人に期待していないって公に言ってしまうと、頗る感じが悪いのは知っているから言わない。期待って、要は、他人の未来を規定する言葉で、そこを外れてしまったら大幅な低評価になるし、それ通りだったとしても観測している主体からすれば当たり前で評価は上がるかもしれないけど、観測圏内のことだから、主体としてはきっと思ったとおりだったってインデックスされる。
僕はどうかっていうと、期待の観念にあるような、他人の向上なんて知ったこっちゃない。
他人の向上は当人の功績であって、自分が観測しているからではないだろうと。
この人はこういう人だろうなってなんとなく当たりをつけることはあるけど、別にそれは当たっても外れてもどっちでも良いくらいでしか見ていない。
こういう観念は期待じゃなくて希望で括られるものじゃないかな。
最後。
今日は思考をあまり言語で捉えられなかった。
これも別にどっちでも良い。そうして、睡眠の意義。肉体を休ませるとか脳内を整理させるみたいなのが一般的だけど、一番は、意識を途切れさせなきゃならないってところかと。
よし、おやすみ。