硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

継続

 

色々面白い。

っていうか自分の歴史を感じる出来事があった。つい先程。

 

携帯が壊れてラインをリフレッシュした関係で、むかーしのバイト先で全く俺のことを覚えてないだろう後輩から電話があった。会いたくない関係の集合ではあるけど、この人が主催するなら会ってもいいかなって思った。話しぶりから見るに営業マンになったのだろうなと。僕はこういうあえて壁を越えてくる者には弱い。惰性を外れてきたという意味で。

ここで本当に外れてきたのであれば、参加するのは面白いと思う。

 

 

 

年代につれて考え方が変わるという話について。

 

確かに先代を見ているとすごく変わっているように見える。でもこれは考え方が変わったんじゃなくて後代に対して自分がどうでも良いと思って来たからであって、何かに影響を受けている訳ではない。

 

影響を受けているとすれば、自分の残り時間に対してっていうだけ。

 

 

後輩くんはちょうどよく要らない人を排除してもう1人の年齢的には下だけどバイト歴的には先輩の人を加えて呑みに行きましょうって。なんと都合の良い楽しみ場。僕より上が居たのに僕を選んでくれたっていう所にフェチシズム。ここには儀礼はないから。一番先輩を誘うのは嫌そうなのは声色で分かった。

 

 

そういえば、前の前の職場の人はラインが消えたらもう辿るところがない。

こちらからはその職場に電話すれば良いけどそれはマナー違反だし、ここにどうにかしてたどり着くっていう可能性は0ではないけど、およそ0だ。

 

でも、本当に呑みに行きたかったら、過去のシフトに従って終わる頃にそこら辺に待機しとけば済む。そこで外したとしてもその費やした時間に対して文句をつける筋合いではない。自分が選んだのだから。

 

もうわりとぐでんぐでんなのだけど、それなりに書いておきたいことはある。

ただ、このさきはやたらと抽象的というか観念的になる。

 

常識的な感覚として、自分の人格はずっと継続しているっていうのがある。ここでは過去の自分は拙かったって評価されるはず。その分美点も過去に見出すのだろうけど。絶頂期が過去にあったってなんだかおかしくなかろうか。どの年代にしろ。

 

哲学的な観点では、人は睡眠を挟むと別人格に等しいっていうものがある。意識が途切れるって割と死に等しいという意味で。意識が飛んだってそれは自分だって観念できるならそれはそれで良いと思う。

 

そうこうして僕が思ったのは、意識が途切れるたびに相続しているのだろうなって。

相続とはなんぞやっていうのは、一般的には他人への財産の引き継ぎ。

 

でも、人格の引き継ぎっていうのは当人の中で日常的に行われていることなのだろうって思うと、ちょっと楽になった。遺伝子は等しい。でも、精神性は変化する人格に対する承継。

 

これって、他人からの引き継ぎという影響ならよく分かると思うのだけど、自分からの引き継を感じられないのはなんでか。

 

当人が動いてないから。

厳密に言えば、当人が動いてないように自分を観測しているから。

 

 

このさきはどうやら今度。

 

 

おやすみ。