硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

なんのためにもならない

こんばんは。

 

この前の日記の話題に関してまだ引きずっている。一日空いたのは思いの外精神エネルギーを消費してしまったというのもある。なかなか無気力になった。どうしてそうなるかっていうと、どちらの見解も素朴な感覚として採用していないし、時代の移り変わりの中で制度の犠牲になった人も知っているし、具体的な被害者も想像できるしで、色々と疲弊するから。

 

 

とはいえ、前の日記を自分で読んだ限り、なんとも不親切だなぁという気がする。論文調にまとめるつもりがない、乱文でしかなかった。もっとしっかり纏めても良いのだろうけど、ここはあくまで日記の枠だし、特に通じて欲しいみたいなところはない。

 

 

ともあれ、なかなかタイムリーらしいと聞いたのだけど、最近地裁で裁判が出たらしいね。そういえば、裁判例をある程度検索できるデータベースが裁判所のサイトにあるのだけど、今日見たら年号検索で既に令和が入っていた。仕事が早い。じゃなくて、その裁判は家庭内で娘に対する強姦の話。行為時の法律が適用されるから、この時はまだ死語ではない。厳密に言えば準強姦の中の抗拒不能の話。個人的にはかなり腹が立つ判決ではあった。

 

ただ、地方裁判所の判決が出たからと言って、それが司法機関の統一見解だって思う人は多いと思うけど、統一見解は最高裁判所が出す訳で、こういう価値観が出てくる判断は難しいけど、著名な刑法学者が最高裁判所の判事になったらしいから、なんとか控訴して上告すれば覆るかもしれない。道徳から峻別した刑法理論の人だから、細やかに判断してくれると思う。

 

刑法学は理論的だけど、裁判は常識的。いやいや違うだろうって思うだけど、ここで言う常識は誰かの小さな世界の常識ではなくて、社会的な常識の話。

 

 

とはいえ、家庭内に対する強制的な性交は、今回の改正で監護者性交罪が新設されたから、もっと法の手が入ると思う。監護者っていうのは親権者とか児童福祉施設の職員とかだけど、解釈によっては教師も含むことになるかも。要は、環境型セクハラの児童版というか、その世界しかない層につけ込むことを罪とする。ここでは当然同意は問題にならない。

 

そうして、ここを女性の立場が弱いっていうことと一緒くたにすることは違うと思う。同意がない性行為は性暴力だっていう説に対しての反論。

 

性が害されるっていうのは、何も知らない幼児ないし児童に対して、家庭内でのもの、あとは独立した人格の関係内で女性は受け入れるものだっていう観念から泣き寝入りみたいなものと、完全な強姦っていうのがあるけど、前2者と後2者では全然違う。

 

イギリスの動画で、性行為を紅茶に例えたものがあって。確かにそうだなぁと思った。けど、ここに外れたものを全部犯罪とするのは違う。恋愛マナーとか性行為エチケットっていうなら分かるけど。

 

性的自己決定を害す犯罪だっていう捉え方がズレているのかなとは思わなくもない。本当に消すなら、性行為自体が犯罪で同意があれば犯罪にならないってことでも良い。これが傷害罪と医療行為の関係。でも、そういう世界って楽しいかな。ここには自己決定はない管理社会だけど。

 

もしくは精神的ダメージを問題とするっていう卒論を見たけど、精神的ダメージをどうやって立証するかとか、それを保護法益にしてしまう危険性が分かっていない。こうやって処罰範囲を広げていくと、警察機関をやっとがんじがらめにしつつある憲法がないがしろになる。

 

だから法学の範疇の問題じゃないだろうなぁと思っていたら、社会学の論文を見つけた。ネットには専門的見地はほとんどないけど、PDFの情報はありがたい。売春と性的価値観の話だったのだけど、性と人格を結びつけなくても良いみたいな話に読んだ。つぶやきでも風俗業界で働いている人が自分は体を売っているわけではなくてサービスやらを提供しているだけだって。

 

だから、性的自己決定みたいなことではなくて、自分の性と人格は一致していないっていう方が人間的な考え方ではなかろうか。だって、性は本能というかまともな性の通常ルートでしかない訳で。まぁこういう意味では性を麻薬と同じように規制するっていうルートはありうる。日本の性犯罪が少ないのはおかずが多いからっていう見解もあったりで、マクロ的な見方をできる人は居ない。なぜなら、こういうことを書いている人に性犯罪を加害者として経験した人はないだろうから。

 

 

そうして、こういう話が出てこれるのは、憲法の賜物だったりする。法規範の構造論みたいなのをしっかりやらないのは、政治家より憲法が強いっていうのを分かって貰いたくないっていうところにあるのか、教育上良くないのかはよくわからないけど。

 

まぁ良いか。僕が嫌なのは、女性とか社会的弱者っていうだけでその属性全てを巻き込んで語る人。

 

 

最後。

 

そんなことより劇評っていう未知が気になる。こんなのここで書いていたことからすれば不謹慎だけど、不謹慎論って突き詰めれば生きてる自体で不謹慎。誰のための考え方か。

 

という面で見れば、ここに書くより公募に応募する文章を考えた方が精神衛生上は良かろう。ある意味邪気でしかない。ウェブ漫画アプリで不適切であるとされた発言があったことに対して炎上していた時と似ている。

 

でも、表現にやきもきしている団体が水滸伝読んだらおそらく女性蔑視だって問題にできるはずなのだけど、書籍には流行りどころ以外ではやって来ていない。昔の漫画を今のアプリで掲載しているところには、差別を助長するものではありませんって注釈が入るのだけど、そういう人たち小説は読んでいないのかな。

 

このまま言葉だけを狩っていくなら、有川浩さんの図書館戦争みたいな時代にもなりうる。

 

表現の自由は、言葉の歴史を守ることも含まれるのではなかろうかないな。

差別だから殺すって、なんとなく自分たちの過去をないものにして今だけ綺麗にしているような。

 

本当に個人を大事にするなら、やり方が違う。

 

 

おしまい。