硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

馴れ

ヨーグルトでドレッシングを作ってみた。山椒味噌と塩コショウとオリーブオイルとごま油と醤油とポッカレモン。山椒味噌の甘みがヨーグルトのデザート感を出していて、組み合わせとしてはあまりよろしくなかったみたい。

 

基本的に香辛料みたいな風味があるものが苦手。セロリも最初駄目だったし、ブルーチーズも昔なら食べられなかったし、パクチーもまだ苦手。チャイのなんとかっていうハーブ? が沈静作用があるっていうので買ってみたけれど、シナモン臭と甘みが大変。

 

でも、こういうのはアレルギーでない限り単なる慣れの問題でしかないような気がする。

イナゴは食べたことないけど、蜂の子ならある。蛹の唐揚げはかき揚げみたいな食感だから問題ないけれど、幼虫のむにゅっと感は他にはなかなかない。そういえば、今日中学生物の参考書でカモノハシの記述を見たのだけど、こいつは一日にカブトムシの幼虫を何百匹も食べた実績があるとのこと。むにゅっと感ではこっちの方が凄そう。

 

という、なんだかグロテスクな冒頭。

よく考えると僕の時代では中学校で生物やってなかったような気がする。総合理科的なものだったような。何やっていたかほとんど覚えていない。やっていた軟式野球部の顧問が担任だったから余計に。読んでいる参考書はだいぶ古いものだから、何世代か前の科目なのかも。こっちの方が随分面白い。

 

さておき。

 

一応歴史上の現在には遅れないように総合ニュースサイトみたいなアプリを取っている。まとめサイトとか動物サイトとかはてなとかも入っている。はてなでいくつか面白い日記を見つけたから、しれっと読者になっておこう。 

 

じゃなくて、一番食指が向いたのは匿名ダイアリー。

 

ABCの順に大きいって言われたとき最大はACのどちらかを間違えるっていう投稿がまず1つ。投稿者としてはCだってことだけど、周りはAだって言うって。意味としてはどちらも正解だと思わなくはない。ABCというものがある。これは順番に大きいって離して捉えるとAが一番大きそうだけど、言葉をくっつけると、Cが1番大きくてもおかしくはなさそう。段階的に大きくなるっていう意味で。個人的にはこれで現実的な誤解が生じるなら説明する側の不備だと思う。数学的に表現すれば誤解はないだろうけど。

 

ここに人間の齟齬の根っこがありそうな。発話者としては当たり前に通じると思い込んでいるけど、受話者には通じないっていう想像が欠けている。

 

もう1つも数学の言葉の意味が分からないっていう話。

Bっていうなら∠ABCはみたいな表現は要らないだろうとか、関数は関連数とか関係数、なんなら函数で良いだろうとか、三角形の面積の公式では底辺なのに、台形の面積では上辺と下辺になるのは統一感がないとか、かける記号を省略するのはなんでやとか。

 

先生に聞いてもそういう風に決まっているからって説明されて理屈が聞きたいっていうことだったのだけど、個人的にはコメントの中にあった、投稿者の文章が分からないって言っているくせに上手すぎるから、回答者の数学レベルを集計しているっていう説。函数って言葉が独自に出るってなかなかないだろうし。結局は捉え方の話。

 

そうして、算数ルールで思い出したのが、九九を暗記させられるって小学生であったけど、答えが1桁になる場合は、「が」がつくっていうやつ。思い出しながら考えたところによると、おそらく、1桁だと九九の問題と答えが被ることが多いから区別するためにそうしたのかなって。

 

数学のルールってきっと突き詰めればそういうものだっていうところか始まっている。素朴なルール付けから発展したような。だから理屈が欲しいって言っても最終的には直感的にそういう抽象世界が分かるのかどうかに付きそうな。掛け算だって現実世界で使われているものとは微妙にずれてそうだし。

 

 

ともあれ。

 

この、最終的にはそういうものだっていうのに尽きるっていうのは、どういう分野でも同じだろうな。例えば、対象を自分だとしてみてもいい。自分の性格のこの部分はこういう経験があってそうなったみたいな個別の説明はできなくもないだろうけど、自分そのものを言語化はできないだろうし。

 

 

これって法律学もあまり変わらなくて、もともと法律っていうルールが整備されていなくて、鎖国が終わったくらいに諸国に追いつくみたいな意味で色んな法律を輸入してできているのが民法だったり刑法だったりする。これをそういうものだっていうところまで尽きつめていくと、輸入先の文化とか歴史とかまで追っていかないといけない。意思表示とか共謀共同正犯が日本語じゃないっていうのはそういう意味。異文化でしかない。

これについて考察すると、条約なりなんなり強制的に法律が整備させられる前の日本の文化はまともではなかったかっていうと、そうでもないだろうなって。士農工商の身分差別があったっていうのは、本当にそうだったのかっていうは個人的には定かではない。本当に虐げられていたっていうなら、もっと階層的な恨みつらみみたいなものが残っていても良いような。

 

 

 

個人的に定かではないっていう世界観は、自分の頭の中に死角がいっぱいあるだろうなっていうところと、何かを知ったら、それにまつわる情報が勝手に集まってくるっていうところと。ナンバーガールについての出来事が増えたり。

 

 

認識の外に客観的世界があるっていうのは、その客観的世界は単なる知識であって現実ではない。バークリさんとベルグソンさんの哲学論はきっとその時代だから出てきた論考。カントさんも近いのか。まだ読みこなしていないけど、一般的に当たり前と思われていることは当たり前ではないでしょうっていう問題提起みたいなことだったのではって。

 

 

ややこしいけど、これが楽しい。

 

続きはまた、おしまい。