硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

区別

今日はなかなか寒かったので湯豆腐にした。春キャベツの固い部分と白菜と大根も入れて、本当は昆布だしがよかったけどカツオだしで茹でて、ポン酢。三寒四温ってこういうとき使うのだっけ。

 

さておき。

 

元号の話の続き。

 

時系列をカウントするだけなら西暦の方が合理的だなって思うのが、日本史の教育だってそうしているから。とはいえ、僕は高校では世界史選択だったから、高校の日本史では元号年でやっているのかもしれない。

 

でも、教えられないっていうのもわからんでもない。政治経済とか近代史までくるとそうでもないけど、江戸以前の歴史上の出来事って元号を言葉にしているものがいくつかあるし。大化の改新の大化が元号なのかは知らないけど、天保とか安政はそうな気がする。問題に答えが含まれているのはなんとなく都合悪い。そもそも出来事が西暦何年にあったのかを問う意味があまり分からないのだけど。これは僕がもともと時系列に重きを置いていないからなのだろうけど。本当は、それがいつ起こったかより、どうして起こったかとかその出来事によって何が変化したかっていう中身なような。人の誕生日より、誕生したこと自体が大事。みたいな。

 

令和がなんだかしっくりこないのは、原点回帰みたいな雰囲気があるとこ。和をもって和にやって日本大丈夫だと思っているのかっていうニュアンスで。何かを変えなきゃならんっていう意識はないのかと。という意味では、「化」とか入れて欲しかった。

 

でも元号って、自分が生まれた時と今以外で覚えているのって、多くても5つ前くらいじゃないかな。僕も明治より前は全然定かじゃない。って考えると、元号の意味って帰属意識なのかなって。帰属と排斥は並置なのだろうか。判決はずっと元号表記だから、元号じゃないと検索できない。

 

 

ともあれ。

 

現象学の本は、前の持ち主が断念したのも分かるパートになってきた。読みにくいというか、分かりにくい。感情は自分が動かすものであり動かされるものであるっていう命題と自意識がごっちゃになっている。まぁ、分かりにくいっていうのは、本当に分かりにくい文章なのか、自分の理解が届いていないのかっていう可能性があるから、読み流して何回か回す。

 

 

そういえば、今日水滸伝の4巻読み終わった。巻末の解説は蛇足だと思っているからほとんど読まないのだけど、たまたま目に止まって読んだ。歴史小説として読んでいないけど、読まなくて良いのだなっていうのが分かった。僕の中では守り人シリーズとか獣の奏者シリーズに近い。

 

 

 

最後。

 

帰属意識とか排斥意識とか、カテゴライズみたいなことを考えている。

 

死について! を原案にした演劇のPIPE DREAMには差別とか宗教とか同性愛とかみたいな集団の意識は捨象されていて、みんな個人みたいなところがピックアップされていたように思う。ただ、劇中で語った人は皆おそらくマイノリティっていうところも自覚しているっていうっていう意味では、非帰属意識みたいな共通意識が流れていたような。

 

 

原案の方は、自己紹介するときに、職業を語る前に、自分は黒人ですとか、ゲイですとか何らかの区分を語る。これは、自分の固有性を語るっていうより、その区分で同じような境遇があるっていう前提からだと思う。差別を解消しようっていう観念の起源はきっとアメリカで、ということは差別っていう観念自体が生まれたのも。日本には差別の代わりにいじめがある。

 

平等って、平らに等しいって二重に平均化する言葉だけど、あぁ、憲法論がちらついてくる。

ここは法的な取り扱いの平等であって、個別的な意識の話ではない。

 

アメリカは区分が見た目で分かりやすいっていうのはあると思う。黒人白人、ゲイレズビアンみたいな区分ができるくらいの人口がある。想像だけど。日本の場合は、外国人に対するイメージはあるけれど、実際に接するのは個人だから、あまり一般化されないような。これも想像。

 

まだ書きたいなぁ。

 

そうして、死について!で自分語りする人は、自分の区分での境遇をある意味英雄譚のように語る。なんらかの投射というか反動なのだろうけど、ここには区分されて良かったっていう意味が付与されている。でも、素朴な印象として、区分を無くそうとして区分を主張するなら、その区分自体が無くならないのではって。

 

 

区分すること自体は、当人にとって意味を持たない。ただ、ここに帰属意識があると、他人の固有性を捨象して理解した気になる。もしくは排斥意識があっても同じ。

 

 

同じだって他人から括られることは別に問題ないけど、それを肯定してしまうと、自分も他人も省略してしか捉えられなくなるような。それでも良いのかもしれないけど、これって自分を鈍麻させることであって、あまりしたくはない。

 

もっといろいろあると思うのだけど、ここまで。

 

 

おしまい。