硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

何処まで「自分」か(前)

 

 

やたらと仕事に行きたくない気分は年末年始で拭えなかったのだけど、ふと思ったこと。

不採用を伝えられる時に、「こんな気分で年末年始を過ごすのは申し訳ない」みたいなフレーズがぽろっと出てきて、なんのこっちゃと思っていたけど、なんのことはない、要は年末年始の前に自分たちが楽になりたかっただけだろうと。

 

まだ去年だったから縁切り年で、こういう職場で認められてもしょうがないっていうお伊勢さんの思し召し。確かに自分が足りなかったということには変わりないけど、足りなくて良かったかなと思わなくもない。

 

そうして、なんだかこういう層にいちいち付き合っているのもばからしいと思わなくもない。いや、決して馬鹿らしくはないか、自己防衛で考える一番分かり易い生き方。自分にとって利益になるかという基準。職場に関しても、離れていく人は利益にならないから、突き放した方が良いという考え方は、なかなか合理的。

 

 

「自分にとって」

 

っていう基準がおそらく人の九割九分の行動原理と言っていい。

ヒトか、動物か、まぁどちらでも良い。

 

 

ついさっき、従妹とトークしていて、なんとく開示していていたのだけど、これだけ仲良く接することができて云々みたいなことを言われたのだけど、全然裏トークしていない。何故なら僕はどれだけ酔っていてもカテゴリーを壊すような発言はしないから。

 

従弟はまだ家に縛られているから、自分の発言が叔父さん夫婦にきっと伝わるだろうなって無意識で感じながら自分の発言を決めている。

ゲスト思考でしかない。もちろん従弟が解放されてるならそれはそれでいいけど、範疇は越えてないような。

 

なんだか、ヒトって他人との関りを「自分にとって」で美化しているような気がする。

 

ということで、とりあえず前編おしまい。