ものさし
精神衛生が悪くなると、状況が後押ししてくれる。
たまたまというには出来すぎ、というのも良く捉え過ぎだけど、そう感じるものはしょうがない。自分が世界を捉える基準ってよくわからない。
経済的書きものは、味気ないと思っていたものがすんなり承認されていた。
全然空気が掴めない。空気さえ掴めればだいたいうまくこなすのが四半世紀としばらく生きてきた客観的観測なのだけど、文章だとノイズが多い。
仕事の方もまだまだ。
自分がどれくらい馴染めているのかが分からない。ってカウントしてみるとまだ10日勤務もしていないという。普通はもっとスパンを長く考えるのか。せめてヶ月単位とか。でも、少なくとも椅子取りゲーム的な意味での立ち位置は確保していると思う。
ずっと種として思っていたことを事務していて確信したのだけど、人が一日でできることなんてたかがしれている。ほんとの一握りのトップクラスの生産性は途方もないとは思うけど、一般人クラスだったらそうそう変わらない。
で、書類とかを作ったりするときの生産性が一番高まるのって中断がないとき。例えば電話を取ったりして中断した作業は、電話対応している時間そのものより損失になる。僕は一番新人だから、電話がなったらワンコールでひたすら取るようにしている。一日鳴る電話の80%以上は取っていると思う。もっとかな。
そうして、自分が何某かのとき。例えば切手貼っていて手が濡れていて拭かないといけないときとかに取れないときを観察していると、割とラグがあったりする。一般的にはあまり早く取ってはいけないっていうのもあるみたいだけど、そうじゃなくて、誰か先に取ってくれないかなっていう精神がちらほら見える。
そりゃあ誰だって自分の作業を進めたいだろうし。
こういう意味で、応対が拙かろうがよく分からない取次をしようが、一次受付でクッションがあるっていう状態は、職場全体の生産性を高めているのだろうなと。個人的には一番苦手なところを練習できるから一石二鳥になっている。ありがたや。
最初は僕に取らせるように待ってくれているのかなと思っていたのだけど、今はまずは硯
が取るだろうって思われているように思える。っていう意味で立ち位置、じゃないな、座り位置は確保しているかなと。
本音と建前もあるし噂話が好きそうな職場だから、僕が帰ってから何を言われているかは知らない。たぶんいろんな意味でよく分からないっていう評価だと思う。こいつ続くのかっていう所とか、こいつどれくらい分かっているのだろうとか。なんだか逆に気を遣われている。
やれやれ。
状況の後押しっていう観念ってあまり一般的ではないような気がする。
なにか自分にとって良い結果が起きたとき、それは自分がそういう風に持っていったんだんだっていう感覚が普通。努力とか諸々で、自分がそれをやったからそうなったのだって因果関係を捉えること。
スピリチュアルみたいな超科学的な捉え方も結局は自分が変わったから世界が変わったっていう対応関係にあるっていう意味で、あまり変わらない。
要は、なにかをすればなにかが返ってくるっていう世界の捉え方の基準の共通性。
これ自体は別に悪くないと思うのだけど、そう解釈するなら良いことだけではなかろうって思うのだけどどうだろう。努力が報酬として返ってくるなら、他人を蔑ろにした分はどこかから復讐があるということ。
僕の捉え方は、別に世界に期待していない。
どれだけ時間をかけようが報酬があるわけでもないし、好意も返ってこなくていいし、復讐があってもしょうがないけど、それは自分の行いとは関係ない。自分の行いは独立している。
のだけど、一般的なものさしの他人から見たときに巻き込まれるからあまり開放できない。
自分の価値観を話したときに、そんなわけないだろうって全否定されたら、もうその人に発する言葉はこちらからはなくなる。別に相手に自分のものさしを分かってもらいたいっていう観念はないし。
なんだっけ。
そろそろ急ピッチで収めていかないと。
帰ってから経済的書きものもなかったし、違う趣向の文章を書いてみたいと思って手慰みで小説を書いた。一息で千文字弱くらい。
公開の予定はないしまだ冒頭部分だけど、主人公の性別もひっくり返して書いていたら、自分は読者になりさがって、なおかつなぜか恋愛小説みたいなことになった。雨がテーマ。こういう発散も解消になるなぁと思った。こいつらこれからどうなのだろう、みたいな。
僕に精神的な障害があるとすれば、それは確固とした主観がないこと。
内弁慶な訳でもないし、観測された対象に合わせる。量子かよ。
よく読んでいるブログの1つに、時代性みたいなことが書いてあって、なるほどなと思った。
マイノリティはそのまま少数派だけど、少数派自体は一般的に知られるようになったけど、なんだか少数派と多数派が憎み合うように扇動されているという話。
僕はテレビもニュースもあまり見ないようになっているのだけど、時々見ただけでもだいたい負のことしか語っていない。
でも、これは日常過ごしていて分かることだけど、負の話題ってどうしても盛り上がる。明日は我が身みたいな意味でも、全然無関係でも。
ただ、世界ってそこまで悲観的なのかなっていうのにも懐疑的だったり。
おしまい。