硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

そこの底

 

急ピッチな一日。
経済的書きものをやっていたらなかなかぎりぎりになった。テーマはまぁまぁ面白かったけど、自分がぎりぎりであることも意識されたというか。

スポーツジムの話だったのだけど、継続しかないのだなと。
文章力も頭で考えたことをよどみなく打ち込めるかっていう意味では継続だし、もっと広げると生き残っていくこともそう。

まぁこれに関してはこなしていくだけ。

そういえば。

大学の知り合いたちと呑んだときの話で、一人の人生相談みたいなのがあった。金融機関に務めていて他業種に行きたいけど不安だ、みたいな。金融業界には先がないと思って、安定志向で公務員は毎年受けているみたいだけど、なかなか成果に繋がらないとのこと。

個人的には安定とか良く分からないけど、不安なら分かる。

不安がアクセルになるかブレーキになるかは人にもタイミングにもよりけりだろうなぁと。こういう感情は高度なようで原初的なものが根っこにあったりするらしい。不安に手を出さない方が生き残ってきたという生物の本能。ふぐを最初に食べた人は未知への不安を興味というアクセルして亡くなっただろうし、切り拓くことには手を出さない方が自衛できると思うのが生物の一般論。

というのを心理分析でご飯を食べている人が書いていた。
抑圧を外していくのが良いとも書いていたかな。

ただ、この不安ってその人の世界だけで成り立っているのじゃなかろうかと思う。
職業のリスクはAIの発展まで考えたら途方もないし、将来への不安も天災まで考えたら自分がいつこの世から退場になるか分からない訳で。

だからどうしたと言われると、答えに窮するのだけど。


僕はいつ退場してもおかしくないなというだけ。
文章は書けるし、ご飯も美味しいし、ある程度の疎通はちゃんとできるけど、おそらく負荷が過剰になっている。ストレス過剰について調べてみたりもしたけど、体は確かにおかしいような気がする。物忘れがひどいっていうのもなきにしもあらず。虫食い部分が多い。意識できる範囲では記憶力はそこそこあるのだけど、意識の死角の部位は思い出せない。

誰かにストレスを丸投げしてかえってストレスを増やすみたいなことはもうしないけど、精神状態は滅裂だと思う。よくもまぁこれだけ形を保っているなと。

でも人生を顧みると、安定していたことなんてないから、通常営業なのかなとも思う。
逆に安定してしまうことの方へ不安が生じる。バイオリズムが上がれば翻るのかしら。


寝よう。


おしまい。