硯に向かいて

ただの垂れ流し 今はこちら https://inkstone2525.hatenablog.com/

世界の多重性


なるべく毎日更新していきたいところ。
書くことは誰のためにもならないし、頭の整理にもなるわけではないし、吐き出して楽になるようなものでもないけれど、一つの標として。

経済的読み物はどうやら隙間時間に読んで情報を取り入れるように書くことが至上みたいだけど、隙間時間以外に読まれない言葉ってどんなものなのだろう。どんな大切な人とのやり取りだって仕事の休憩や終わりじゃないと読めないし、今や昔の手紙だって落ちついたまとまった時間で読むものだし。

あえて意志を行使してなにかを読む時間を作ることを隙間じゃない時間とする。そして、そこまでいかないけど、なんとなくサーフィンしていたのを読むことを隙間時間とする。という定義付けなのだろうか。どうあっても選択があるような気がするのだけど。

一昔前のテレビみたいなものなのだろうか。
僕の場合は言葉が主食で嗜好品だから、選択なしで読むなんてことはないしたまたま流れて見つけたものだって、自分の意志と選択がないと自分の世界には現れなかったと思っている。情報を見るときは中身しか見ていないから、どちらかというと箇条書きくらいで良いと思っている。

つまり、人生に隙間時間なんてものはない。
勝手にそう名前を付けているだけ。その時間は何に使おうが二度と返ってこない人生の欠片。

なので、僕の日記なんて読んでないできちんと生きましょう。
なんて口出す分際でもないのが人生の並列性。全部有効に使えるならばもうそれは人ではない。

さて。

今日の流れは仕事以外まぁまぁ上々。
絶対間に合わないと思った帰りのスーパーがギリギリ間に合って、貯まっていたポイントだけでお酒を買えた。週一くらいは飲んで主客を一致させておかないと完全に他人事みたいなことになる。

仕事か。特に面白い話はない。
言語化できるけど言語化したところで。
だけど、少しだけ。

外から見ると、埃を被っているっていう表現がよく分かった。
人に対する描写としては不適切だけど、要は世界が閉じている。
更新がない世界は澱む。澱んだ世界の登場人物はその人にとってどうかでしかなくて、あまり交流するつもりがない。

淀みがない人なんて居ないのだけど。

ここまでが前置き。


世界の開き方の一例。

ここのところ色々すっきりさせたくて、仕事を探しているときのメルマガとかを全部停止にした。ついでにここに流入した中にフェイスブックが出てきていて、ちょうどいいからアカウントを削除した。僕がここのアカウント残していたのは、叔父さんと友達になっていた手前っていう現実の残り香だったのだけど、おじさんも特に気にしないだろうと思って。

しかし、顔本からどうやってここにやってくるのだろうっていうのが怖くてしょうがない。
嬉しいより怖いが先に来る。

世界っていうのは現実で、現実とはなんぞやって言うと、人間がほとんど。
物理的人間関係って言い換えても良い。

つながりという縛り。

現実的なSNSとしては顔本もしかり、mixiもあったし、今はTwitterか。
僕は尽く馴染めなかったし、馴染めない。

まず、まとまった文章を綴る自体が異端だし、この文章を書いている硯と、現実の硯が別物だということもわからないし。

そういう意味では、ぼくがかきつくっているものは、自分がものぐるほしけれなだけであって、あまり現実の自分とは関係がない。厳密には関係はあるのだけど、これくらい相手の発話を待てる人ってほとんど居ない(経験則)から、こういう人格が現れることは現実的にはない。

人は基本的に話したがりだし、僕は基本的に聞きたがりだから、話したがりの人に興味を持たれたところで、全部は開示できないという。別にジレンマでもない。そういうもの。

話したがりは、自分が話すきっかけを見つけるために人の話を聞くでしょう?


世界の開き方は、人間関係を一新すること。
その人の世界を決めている基準ってだいたいは当人でない。

この人は幼馴染でーとか、職場だからーとか、高校の同級生でーみたいなラベルに本当に価値があるのであればいいけど、離れた所で相手は死ぬわけでないから、閉塞感があるのであれば、人間関係も断捨離すれば良い。

ただし、ある意味自分の歴史を一部削除する行為だから、そのさきにちゃんと人格の保有地がないといけない。

歴史が消えても自分を確立できるかどうか。


そうして最後。

考えるという単語の定義。
この単語は同じようで全然別の事柄が含まれているからややこしい。
だいたい外に向かって言う場合は、先延ばしとか断りとかになる。

内側だったら、考えるっていうのは思いつきに従属しているかなって。
最初に思いつきがあってそれについて考えていく。

知らんけど。

伊坂さんが狂うことと受け入れることは似ているって書いていたけど、確かになぁと。
この人が好きなのは暗がりに生息していること。


狂気と受容の共通項の解とは。

僕の答えは、基準が自分ではなくなる。

解は人それぞれ。

ではおしまい。